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千渡城 ~ 不思議の要塞

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

千渡アク

 平成24年7月21日、お城仲間のМさんと千渡城に行ってまいりました。

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 栃木県鹿沼市千渡にある宝性寺境内がそれにあたります。

*千渡城は、天正年間に宇都宮氏により構築されたとされています。

 上杉謙信が亡くなり上杉の勢力は関東から撤退、武田家が滅び織田家が関東へ進出しました、本能寺の変で撤退。すると関東は北条氏の独壇場となります。

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 先ほどの門から東へ、土塁と堀が伸びています。

*宇都宮家に与していた壬生氏は長いものには巻かれよと、北条の傘下となります。

 壬生氏の鹿沼城は、北条氏による「宇都宮氏殲滅の最前線」となりました。

GEDC2808.jpg
 東側にも土塁と堀が続いています。

*宇都宮氏は、本拠の宇都宮城が平城であること、鹿沼城より南にあり、攻囲され孤立しやすい位置にあることなどから、本拠を鹿沼城北東5キロの多気城へ移します。

 多気城には、出構えや枡形等、最新の築城技術が取り入れられました。

GEDC2813_20120805041107.jpg
 堀と土塁が北側から、西側へカーブする箇所です。

*千渡城は、鹿沼城から多気城へ向かう道の側面を脅かす位置にあり、宇都宮氏にとっては最前線基地として築城されたはずです。

 多気城には最新の築城技術が取り入れられているのに、千渡城はまるで鎌倉期の館の様な、方形の縄張りです。土塁は低く、堀幅も狭い・・ しかも、川が近くにありながら川を利用せず、山が近くにありがら山を利用していません。

 不思議の要塞です。

GEDC2814.jpg
 西側の堀と土塁です。

*往時は沼地に囲まれた浮城だったのでしょうか?

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 残存する方形の縄張りだけ描いてもつまらないので、川を外堀とした二郭があったのではと妄想して描いてみました。

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 鹿沼城訪問のついでに寄ってみて、頭を悩ませてみてはいかがでしょうか?

GEDC2824.jpg
 土塁に咲く百合の花でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「栃木の城」
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Comment
Re: 街道
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 隘路を押さえるためのお城という見方も確かに出来ますね。

 さて、宇都宮ですが復元についてイロイロト考えさせてくれる
貴重な題材ですね。

 夏場はどうしても虫の少ない場所へ足が向いてしまいます。

 もう少しですね。涼しくなったら、山深き要害へ!

 心が湧きたちます。
街道
縄張り図から推察しますと
山と川に挟まれた隘路を押さえるためのお城
だったのではないでしょうか。

ところで、宇都宮城の復元はすごいですねえ

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