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大田井城(2) ~ 上杉景勝養育

 大田井城の最終話です。

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 奥が「本郭」、手前が「二郭」で、左下から登る小口があります。

*新田・大井田軍は白旗城を攻めあぐみ、4ヶ月もの時を浪費してしまいます。

 その間、足利尊氏は九州の兵を糾合し、10万とも言われる大軍で、東へ進みます。

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 先ほどの小口は、「二郭」と「本郭」の両方から横矢がかけられるようになっています。この部分などは戦国期の改修を受けているとおもわれます。

 全体としては、南北朝期「段郭左右ずらし」の技法で、創始の古さがうかがえます。

*足利尊氏軍は京都を再度制圧し、新田義貞は戦死、大井田氏は越後へ帰国したのでした。

 大井田氏は、一時的に逼塞を余儀なくされたことと推察されます。

 その後、越後守護上杉氏、守護代長尾氏に忍従して、存在を確保したようです。

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 「二郭」です。

*小田原北条記には、古河公方と、関東管領上杉氏が対立した際、古河にはせ参じた豪族の中に、小山氏、結城氏と並んで大井田氏の名があがっています。

 越後は関東管領上杉氏の地盤ですから大井田氏がそれに逆らって出陣したとは思えませんが、小田原北条記の書かれた江戸時代に、「大井田氏は、小山氏、結城氏と並ぶ名族である」という認識が広まっていたと理解するべきでしょう。

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 「二郭」には、大井田氏が官軍として活躍した旨の石碑が立っています。

*戦国期になると上杉謙信配下として、大井田氏は、度々関東に出兵しました。

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 「二郭」から見上げた「本郭」です。

*1564年、上田庄の盟主、長尾政景が変死するという事件がおこりました。

 長尾政景はかつて、上杉謙信に敵対した過去があり、変死について様々な憶測が飛び交い、(変死は上杉謙信の策略で、謙信は上田長尾氏を滅ぼすのでは?等)越後は緊張下に置かれます。

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 「本郭」です。

*そのような情勢下にあって、長尾政景の幼い嫡子「喜平次」を養育するという重責を果たしたのが、大井田家当主、大井田景能であったとされています。

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 石碑には「新田」の名も刻まれていますね。

*「喜平次」は成長して、「上杉景勝」を名乗り、上杉謙信の後を継ぎ、豊臣政権の五大老に任じられました。

 大田井景能が「喜平次」の養育を引き受けなければ、歴史は違ったものとなっていたかもしれません。

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 北方向から見た大井田城です。本郭の左側が急激に落ち込んでいることが見て取れます。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「新潟の城」
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