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超図解越後荒戸城(7) ~ 再び景勝を救う

 荒戸城の最終話です。

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 本郭の小口の前は、半枡形のような構えとなっています。

*1580年3月、北条軍は再度三国峠を越え、荒戸城を攻め落とします。越後国内では反景勝派の蠢動が続いていてため、介入しようとしたのだと思われます。

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 西南方向から見たイメージ図です。

*北条氏政が部下に与えた感状に「荒戸山を攻略し敵兵数百人を打ち取った」ことを賞する文言が残っています。

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 本丸小口です。

*数百は、荒戸城の守兵の数と同数と思われ、荒戸城兵は最後の一人まで抵抗することにより、坂戸城が抗戦準備をする時間を稼ぎだしたと推察されます。

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 本郭に入りました。

*この年も北条軍は坂戸城を抜くことができず、虚しく関東へ帰国しました。

 荒戸城は再び、上杉景勝を救ったのでした。

 翌1581年2月、上杉景勝は、直江兼継の父「樋口与左衛門」を、荒戸城代に命じています。

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 南側の櫓台方向です。一段高くなっていますね。

*1582年には、織田信長家臣の滝川一益が三国峠を越えて、越後に入り坂戸城を攻めました。荒戸城落城の記録はなく、その頃荒戸城は放棄されていたようです。

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 北側のフモトから見た、荒戸城の遠景です。

 右側のへこみが芝原峠で、中央のピークが荒戸城です。峠道を封鎖する役割を負っていたことが見て取れます。

*荒戸城の使用期間は僅か3~4年程度ということになります。築城と使用の年代がこれだけ短く特定できる荒戸城は、縄張り術の発展を分析する上で貴重なランドマークと言えるのではないでしょうか。

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 荒戸城のフモトからみた湯沢方面の景色でお別れです。

*技巧的な縄張りが、ほぼ完全に保存されているだけでなく、観察しやすいよう整備が行き届いていますので、土の城好きの皆様は是非とも訪問なさって下さい。

 がっかりする可能性はマッタクありません。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「新潟の城」
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Comment
Re: 中山峰城
妙義の毛虫様 御来訪ありがとうございます。

 武蔵富岡さんのページでのやりとりから、こちらまでいらして頂いて恐縮です。

 いつも貴重なご教授ありがとうございます。

 石標があるというのは有り難いですね。

 雪が溶けましたら発地城とともに訪ねてみたいと思います。
中山峰城
群馬県高山の中山峰城の件ですが、赤根トンネルの手前の北山本線林道を西に進み、大きなカ-ブ2つ目に石標があります。ここから送電線の巡視路を登れば鉄塔に着きます。この左奥の林の中に城址碑があります。この林を抜ければ主郭となりますが、山崎一さんの書かれている城跡はここ(929m)でなく、その北の二等三角点967.9mの山頂となっています。見取図の地形は929mのところですがハッキリ判りません。もし行かれたら確認して下さい。私は929から先には行っていません。
Re: ありがとうございました。
たけお様 御来訪ありがとうございます。

 つたない縄張りオタクのHPをご覧いただき恐悦至極です。

 南魚沼に御住みですか。私は20代に浦佐後山へ仕事で5年ほど通っていました。

 腰越城は杉山城とならび私の愛する城の双壁です。言及頂き嬉しい限りです。

 荒戸城は今や全国区の城となりましたね。

 揚北地区は何年も前からターゲットなのですが、所沢からだと一泊しなくてはならない。

 攻城シーズンが限られている(早春と雪が降る直前)ので、未だご縁がありません。

 行きたいな~
ありがとうございました。
五遁さんのHPいつも楽しみにしています。新潟県南魚沼市のたけおと申します。荒戸城の解説、とても参考になりました。また、埼玉県の腰越城の解説は極めて参考になりました。この間、新潟県新発田市の竹俣新城に登ってきました。五遁さんにお勧めです。ありがとうございました。
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