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超図解越後荒戸城(6) ~ 越後流食い込み横堀

 荒戸城の第6話です。

GEDC2570_20120722135849.jpg
 本丸から見下ろした三の丸です。

 左側に馬出しからの小口が見えます。

GEDC2587.jpg
 三ノ丸内部から撮影した小口です。三ノ郭に入ったあたりが枡形様にへこんでいます。

x010_20120722132926.jpg
 北西方向から見たイメージ図です。

GEDC2590.jpg
 三の丸に侵入した攻城兵の前には、この写真の本丸塁壁がそびえたちます。

 三の丸は本丸からの射撃の制圧範囲内にあります。

 塁壁は急で、通路以外を攻め登るのは不可能です。

GEDC2584.jpg
 本丸への通路は、写真の「食い込み横堀」で狭まられています。

 この技法は、長野県栄村にあり、越後上杉氏の手が入ったと思われる「仙当城」にも見られ、戦国末期に上杉氏が採用した技法であると思われます。

GEDC2583.jpg
 三の丸から、本丸への唯一の通路は、人ひとりがようやく通れる狭さです。

 「荒戸城第7話 ~ 再び景勝を救う」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「新潟の城」
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Comment
ナタで切った様な堀切
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 上杉系の山城の特徴だと私が思うのは、塁壁の鋭さと高さ
そして、ナタで切った様な堀切です。

 敢えて申し上げると、塁壁に頼り、横矢や小口の工夫が少
ないといった面もありますが、戦国後期には払拭されている
と感じています。

 この夏の東北遠征で米沢の館山城に行って参りました。

 発掘調査の結果、戦国中期まで伊達氏の本拠であったので
はないかとの推察がなされています。

 伊達氏が米沢から仙台に移された後、米沢に入ったのは・・

 上杉景勝です。

 館山城の背後には、ナタで切った様な巨大堀切が2本あり
上杉氏の改修があったのではと妄想しました。

 あとは、平安時代の東北の騒乱で使用されたとされる金沢
柵と、沼柵も見て参りました。

 両城とも、戦国時代よりすごいのでは?

 ・・と感じました。秋田県にはストーンサークルがあり、
古代秋田には先進文明があったのではとの仮説に興味が深ま
りました。

> 景勝さん時代の城は鉄砲の射程距離を
> 考えた幅の広い堀切を用いていたような感じを
> 武蔵様の記事から感じています。
>
> 大阪城や、名古屋城のような空掘を
> 山城で用いたような
> 仙当城や麻績古城の空掘が
> 特に印象に残っていますが
> いかが思われますか?
丸馬出
景勝さん時代の城は鉄砲の射程距離を
考えた幅の広い堀切を用いていたような感じを
武蔵様の記事から感じています。

大阪城や、名古屋城のような空掘を
山城で用いたような
仙当城や麻績古城の空掘が
特に印象に残っていますが
いかが思われますか?
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