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超図解越後荒戸城(1) ~ 上杉景勝の非情

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年6月23日、お城仲間のМさんと荒戸城に行ってまいりました。

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 新潟県南魚沼郡湯沢町大字神立にあります。

 関越自動車道湯沢インターを降りて、国道17号を三国峠方面に向かい、芝原トンネル手前の道を左折して登っていくと間もなく、左側に看板があります。駐車場も完備です。

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*1578年3月、上杉謙信が亡くなると、その後継をめぐって御館の乱が勃発します。

 謙信には2人の養子がいました。魚沼地区を地盤とする上田長尾氏出身の景勝と、関東北条氏出身の景虎です。

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 登っていくと数分で、旧上杉軍道に出ます。戦国時代、上杉謙信は馬上杯を片手にこの道を何度も通ったのですね。

*景勝は考えました。

 「景虎の実家である北条家は、上野から三国峠を越えて越後に軍勢をいれ、景虎を助けようとするに違いない。」

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 上杉軍道から城への分岐点にも表示があるので安心です。

*同年7月、景勝は登坂与衛門尉らに荒戸城を築城させました。

 200名が籠ればいっぱいの規模の荒戸城に与えられた役割とは何でありましょうや。

GEDC2549.jpg
 この様に道が整備されています。上杉氏時代の大手道ですね。

*北条軍は最低数千、多ければ数万で攻めよせるはず。

 200名で守りきることなどできるわけがありません。

GEDC2551.jpg
 見事な塁壁たちが、姿を現しました。

*荒戸城の役割・・・ それは・・・

 北条軍を半日、できれば1日拘束してほしい、そうすれば長尾上田氏の本城である坂戸城の防備を固めることができる。

 つまり、時間稼ぎのために死んでくれということです。

 「荒戸城第2話・土の芸術」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「新潟の城」
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