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青柳城(5) ~ 上杉勢侵攻

 青柳城の最終話です。

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 二郭に入りました。

*豊臣秀吉は、1590年7月には、北条氏を滅ぼし、天下人としての地位を確実なものとします。

 豊臣秀吉は、徳川家康に対し、関東への異動を命じ、家康はそれを受けました。

 その僅か2ヶ月後、北信濃に異変が起きます。

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 本郭東側の塁壁は見事な石垣で覆われています。

*小笠原貞慶領に侵攻した景勝の軍勢は、またたく間に千見城、青柳城、日岐大城を占拠してしまったのです。

 上杉景勝の養父、上杉謙信は朝廷から関東管領に任じられていました。

 上杉景勝としては、「自分こそが関東を与えられるべきだ」と思っていたとしても不思議ではありません。

 ところが関東は家康のものに・・・

 行き場の無い憤懣が家臣達の間にもあったのかもしれませんね。

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 本郭に入りました。

*上杉景勝本人は、東北地方の検地に駆り出されていた為、この侵攻戦は浅慮な部下のおちゃめとして寛大な取り扱いを受けました。

GEDC2536.jpg
 標高904.96メートルの表示です。

*「領地を小笠原貞慶に返却すれば、おとがめなし」となったのでした。

 豊臣秀吉は、上杉景勝と直江兼継に対して甘いとことがありますね。

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 本郭の西脇に小口が食い込んでいる場所の写真ですが、ヤブデ判りにくいですね。

*表面上はおとがめなしですが、景勝と兼継は「その後も、内乱の収まらぬ東北を延々と転戦させられる」という罰を受けたのでした。

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 上の写真の小口の場所は、この図ですと本郭の左側の食い込みです。

*さて、小笠原家は家康の関東移封に伴い古河に移り、青柳城は廃城となりました。

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 本郭から見下ろした青柳宿方面の景色でお別れです。

*この城を守ろうとおびただしい血を流し続けた武将たちは、結局、誰一人この地に残ることは無かったのです。

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 車で登ることが出来ますし、それなりに整備されていますし、何よりも激戦の記録が残る城ですので、訪問されてはいかがでしょうか。

 文末になりましたが、ご案内いただいた「らんまる攻城戦記」編集長らんまるさん有難うございました。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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Comment
Re: 戦国の遠き昔に思いを馳せる場所
らんまる様 ご来訪有り難うございます。

 勝手に思い入れを深めての文で、恥ずかしいかぎりです。
 武将達も虚しかったでしょうが、地元民はもっと別の意味で虚しかったでしょうね。

 さて、私は米沢のホテルで、夜明けを迎えました。
 上杉と最上の激戦の地を訪問する予定です。

 職場から呼び戻されなければ良いのですが.
>
いえいえ、こちらこそお世話になりました。
>
> 筑北村も麻績村も古き信州の面影を残す場所で小生は何度行っても飽きない場所でございます。
> いまでは長閑な田園が広がるこの地が幾度かの戦禍に巻き込まれたとは信じ難いのですが、天正10年以降は信州で最も激しい戦場だったのは事実です。
> 「そして誰もいなくなった・・・」(笑)
> 小笠原さんも上杉さんも笑うしかなかったのでしょう。
>
> 抒情的な文章、流石でございます。
> これからも精力的なご活躍、期待しておりまする。
戦国の遠き昔に思いを馳せる場所
いえいえ、こちらこそお世話になりました。

筑北村も麻績村も古き信州の面影を残す場所で小生は何度行っても飽きない場所でございます。
いまでは長閑な田園が広がるこの地が幾度かの戦禍に巻き込まれたとは信じ難いのですが、天正10年以降は信州で最も激しい戦場だったのは事実です。
「そして誰もいなくなった・・・」(笑)
小笠原さんも上杉さんも笑うしかなかったのでしょう。

抒情的な文章、流石でございます。
これからも精力的なご活躍、期待しておりまする。
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