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青柳城(4) ~ 青柳頼長の悲劇

 青柳城の第4話です。

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 四郭から、三郭を見おろしました。

 おかしな場所に門を復元していますね。

*1587年、小笠原貞慶は、青柳頼長親子と家臣を松本城へ呼び寄せます。

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 門を復元すべき場所は、大手からの小口であるとおもうのですが・・・

 三郭は大手小口を攻め登った来た敵兵を、二郭と四郭で挟撃するための空間です。

 上手くいけば良いですが、味方が分断されるリスクもあります。

*麻績・青柳領を敵から守りとおしたことに対する、ねぎらいの言葉と恩賞が授けられるのが常識的な流れだと思いますが・・・

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 大手道には帯郭(腰郭)が幾重にも、設置されています。

*小笠原慶貞は、常識人ではなかったのです。

 小笠原慶貞は、召し出した青柳親子と家臣を手にかけると、青柳城へ兵を差し向け、青柳一族をコトゴトク虐殺したのでした。鎌倉期よりこの地に君臨した青柳一族のあっけない終焉でした。

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 急斜面ですので、帯郭も幅の狭いものとならざるを得ません。

*青柳頼長が、諏訪大社の神官をして「小笠原貞慶調伏の祈祷」を行わせていたとの記録もあります。

 小笠原貞慶が後からでっち上げた可能性もありますが・・・

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 帯郭の一部には塀が復元されています。

*小笠原貞慶は実に猜疑心の強い男で、彼の元に馳せ参じた旧臣たちに、次々と謀反の疑いをかけ誅殺していきましたので、青柳頼長もいつかは自分も・・・と恐れ、祈祷をお願いしていたとしても不思議ではありません。

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 つづら折れの大手道は、崩壊防止の為、一部、石積みで補強されています。

*いずれにせよ、小笠原貞慶としては「世が治まった今、戦闘の為に在地土豪の力に頼る必要は無くなった。彼奴等を排除して、身内で固めてしまおう」と考えたのでしょう。奥羽南部氏も同じことをしていますし・・・

GEDC2520.jpg
 三郭から見上げた二郭の塁壁です。

 「青柳城第5話・上杉勢侵攻」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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