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青柳城(3) ~ 秀吉と家康の綱引き

 青柳城の第3話です。

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 五郭の塁壁です。

*小牧・長久手で一旦は和睦した豊臣秀吉と徳川家康ですが、水面下では熾烈なブローを放ち合っていました。秀吉は家康に対し、上洛して臣下の礼を取るように促しますが、家康は応じません。そうくるならば・・・

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 五郭から本郭までのイメージ図です。

*秀吉は、徳川陣営の撹乱を計ります。まず、木曽氏を離反させ、次いで真田昌幸を離反させ、飛騨を制圧して、徳川家康派の小笠原貞慶へ圧力をかけました。

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 五郭に入りました。

*小笠原貞慶は、周囲を秀吉派に囲まれ、絶体絶命のピンチに陥ります。貞慶は考えます「自分も秀吉派に乗り換えることが出来たならどんなに楽なことであろう。家康は、木曽攻めや上杉攻めを命じるだけで、何の支援もしてくれない。骨折り損のくたびれ儲けだ。でも、我が嫡子は家康の元に人質として置いてある。嫡子を見殺しにすることはできない。」

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 五郭の南側には、土塁が盛ってあります。

*1585年11月、徳川家重臣石川数正が、家康の元を出奔して、秀吉陣営に参じました。石川数正はこのとき、小笠原貞慶の人質を同伴したのでした。

 これにより、小笠原貞慶は安心して秀吉派に加入することが出来ました。

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 土橋の表示です。

*小笠原貞慶が秀吉派に加入したということは、既に秀吉派に重きを置いていた上杉景勝と同じ派閥になったことになります。

 当然のことながら秀吉は、両者に停戦を申し渡しました。

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 五郭の北側が一旦盛り上がり・・・

*石川数正の出奔、木曽、小笠原、真田の離反で追い詰められた徳川家康は、豊臣秀吉に屈し上洛して臣下の礼を取ったのでした。秀吉は何とその褒美として、木曽、小笠原、真田を家康の配下へ戻したのでした。

 小笠原貞慶はバツの悪いことこの上なかったことと思います。

 家康が屈した今、秀吉にはむかう可能性があるのは北条氏と伊達氏だけとなり、信濃と、青柳城主青柳頼長のもとには平穏な日々が訪れるはずでしたが・・・

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 その先に土橋があります。通路の両脇が若干窪んでいます。

 五郭の北側にも土塁があるということは、攻城兵に本丸を取られてしまった後の撤退戦を意識した縄張りですね。落城イコール全滅では一族の存続がかないませんから。

 「青柳城第4話・青柳頼長の悲劇」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「長野の城」
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