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青柳城(2) ~ 麻績氏領併合

 青柳城の第2話です。

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 青柳城の見るべき遺構の「二重堀切」の一本目です。

*織田信長が本能寺の変に倒れると、信濃は無主の地となり、上杉景勝がこの地へ兵を進めました。

 青柳氏は、麻績氏とともに景勝の陣営に加わりました。

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*その後、この地の西方では小笠原貞慶が勢力を伸ばし、(このあたりの経緯は麻績古城のレポートに詳しく記しました)小笠原貞慶と上杉景勝の勢力の接点がこの地となったことから、この地は争奪の激戦地となったのでした。

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 二重堀切の二本目です。

*麻績城と青柳城は景勝陣営として、小笠原貞慶の攻撃を幾度となく跳ね返しました。

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 七郭を進むMさんです。本当に細い尾根ですね。

*この頃、豊臣秀吉と徳川家康の間で、小牧長久手の戦いが勃発します。

 この地での戦いは豊臣秀吉派上杉景勝と、徳川家康派小笠原貞慶による代理戦争の様相を呈してきました。

 徳川家康は、上杉景勝に忍従していた屋代秀正を寝返らせました。屋代秀正は、荒砥城に次いで虚空蔵山城に立て籠もり、上杉軍と抗戦に及んだため、上杉軍は麻績に援軍を向けることが出来なくなってしまいました。

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 六郭の塁壁です。手前が堀です。

*そのすきに乗じて、小笠原貞慶は麻績へ三度にわたり攻めよせ、ついに、麻績左衛門と青柳源太左衛門は降伏するのでした。

 麻績左衛門は、小笠原氏へ忍従しました。

 青柳源太左衛門は上杉領へ逐電しました。

 上杉家に残る「文禄三年定納員数目録」には、青柳隼人が小木城将として配置されていることが記録されており、青柳源太左衛門の子孫はその後も上杉家の庇護を受けていたことがわかります。

 青柳城には青柳一族で、小笠原に靡いた青柳頼長が跡がまに据えられました。

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 六郭から、六郭脇の通路を通るMさんを撮影しました。

 ここから石を落とされたら、ひとたまりもありませんね。

*麻績左衛門裏切りの報を受けた上杉景勝は激怒します。

 屋代秀正が虚空蔵山城から逃走して兵に余裕が出来た上杉景勝は、何と! 自ら軍勢を率いて麻績古城に向かいます。

 配下に出撃を命じることが多かった景勝が自ら出陣したのですから、その激怒具合が押しはかられます。

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 六郭の奥の方から、尾根の幅が広くなってきます。

*上杉景勝は、麻績古城を攻め落とし、裏切り者麻績左衛門の首級を挙げると、麻績古城を確保せずに撤退しました。

 麻績氏が没落したため、小笠原貞慶は麻績領を青柳頼長に与えました。

 麻績氏分流としてこの地のナンバー2に甘んじていた青柳氏は、麻績氏の没落により一躍ナンバー1の地位を獲得したのでした。

 「青柳城第3話・秀吉と家康の綱引き」へ続く・・・

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