FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  五覧田城(3) ~ 歴史の混乱

五覧田城(3) ~ 歴史の混乱

 五覧田城の最終話です。

GEDC2334.jpg
 西五郭から、西四郭の方向を見上げています。

*さて、第一話に「五覧田の砦」と、「五覧田(要害山)城」の混同で歴史上の混乱があることをお伝えしました。

GEDC2336.jpg
 西三郭の塁壁です。

*五覧田城を含む、上州の歴史に混乱をもたらす存在が、更にあります。「加沢記」です。

GEDC2338.jpg
 西三郭と西二郭は土橋でつながっています。

*「加沢記」は戦国時代が終わってから100年後に、沼田藩の家老加沢氏により記されたものです。

 加沢氏本人がリアルタイムにまとめたものではないのです。

 あやふやな伝承を元に、沼田藩にとって都合の良い方向に脚色して書かれたと見てしかるべきでありましょう。

GEDC2339.jpg
 土橋から見た、土橋脇の堀です。

*ところが、その「加沢記」の記述を何の検証もなく採用する歴史本が多いのが困りものです。日本城郭体系や群馬の古城もそれにあたります。

 「加沢記」には、「1586年9月下旬、真田勢が五覧田城を守っていたが、阿久沢勢に攻められ落城した」と記されています。つまり、それ以前に真田勢が五覧田城を奪取していたことになります。

GEDC2341.jpg
 西二郭から、本郭方向にも土橋がありますが、非常に微妙です。

*その頃真田氏は、前年までに、上田城を徳川勢に攻められ、岩櫃城を北条勢に攻められ、沼田領に至っては南の中山城、長井坂城、東の阿曾の砦、森下城まで北条勢に攻めとられ、沼田城を死守するだけで精一杯の状態でした。

 沼田城の東の城たちをを北条に取られているのに、更に東の五覧田城を奪取できるわけがありません。

 つまり、「加沢記」の五覧田城に関する記述は誤りである可能性が高いのです。

GEDC2343.jpg
 本郭です。みどり市のみなさぁ~ん。もう少しどうにかしていただけると、嬉しいです~。

GEDC2352_20120628202802.jpg
 「五覧田の砦」から見上げた「五覧田(要害山)城」の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
スポンサーサイト



Comment
矢沢頼綱こそ神!
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 矢沢頼綱こそ籠城の神様ですよね!

 第一次上田合戦、第二次上田合戦での昌幸の戦いばかりが
有名ですが。

 沼田城にあって、上田より厳しい状況を幾度もしのいでい
る矢沢頼綱は、もっと名将として語り継がれるべきですよ!
気がついたのですが
私の持論になるのですが
徳川家康さんを鍛えたのは武田勝頼さんの猛攻を
しのぎきったことにあると考えているのですが、
今回の記事で、真田さんの少数で大軍を翻弄する
ような戦い方を身につけたのは、北条さんとの戦いにルーツがあるような印象を受けました。
この時の経験が第一次上田合戦につながっていった
のではないでしょうか。そうだとすると、真田さんの
重心クラスの方々、特に沼田城代の矢沢頼綱さんの戦い方なども大いに役立っていたのでは
ないでしょうか。まあ、妄想の話ですが(笑
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード