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梅原館 ~ 鎌倉時代の主殺し

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年6月10日、お城仲間のМさんと梅原館に行って参りました。

梅原アク

群馬県桐生市梅田町1丁目にあります。桐生市役所から県道66号線を2キロ強北上すると、桐生信用金庫梅田支店が右側にあり、そのすぐ東です。

GEDC2181_20120617115131.jpg
 平安時代末期から鎌倉時代初期にこの地を根拠と定めた足利俊綱の臣、桐生六郎の居館と推定されているとのことです。

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 この様に土塁と堀が残存しています。

*足利俊綱は、源頼朝への反乱に与したのですが、家臣である桐生六郎は考えました。

 「頼朝が勝つに決まってるよな~ 負けるとわかっている戦に参加してもな~ ここで頼朝さんに認められたら領地とか、身分とか、イイことがあるんじゃないかな~」

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 東から見たイメージ図です。本郭以外は消滅していますので、消滅部分は日本城郭体系の図面から起こしました。

 山と川に挟まれた、狭い場所を土塁と堀で封鎖していたようです。

GEDC2175.jpg
 *桐生六郎は、何と主君の足利俊綱を切り、その首を持って鎌倉へ行き、源頼朝に謁見しようとしました。

GEDC2174.jpg
*源頼朝は、主君を討つとは不忠であるとし、褒美をつかわずどころか、桐生六郎を切り捨てたのでした。

GEDC2184.jpg
 館の東側はこの様な河岸段丘になっています。往時は桐生川が館の脇を流れていたということです。

*しかし、桐生六郎の妻子には咎めは無かったとのことです。

GEDC2178.jpg
 郭の内部です。

*室町時代に桐生城が出来ると居館は桐生城下に移り、梅原館は下屋敷となっていたのではないかということです。

GEDC2177.jpg
 郭内にはお堂が建っています。お堂の裏手に土塁が見えます

 日本城郭体系は、「由良国繁の母、妙院尼はここ(梅原館)にいたのであろう」と記しています。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「群馬の城」
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