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桐生城(4) ~ 三日月堀

 桐生城の第4話です。

GEDC2212.jpg
 二の丸には三日月堀が付属していて、この写真がそうなのですが、ヤブデ判りにくくてすみません。

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 元はもっと単純な造りであったものに、戦国後期、三日月堀や北郭が追加普請されたのだと思われます。

 追加普請が必要となってくる情勢を・・・

*1560年、上杉謙信が関東へ侵攻、桐生氏はこれに抵抗するも、桐生城を攻められ降伏。謙信の指示に従い、小田原攻めに従軍しました。
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 二の丸です。細長いのですが、木で良くわかりませんね。すみません。

*1561年、上杉謙信が越後へ帰国すると、桐生氏は謙信陣営から離反しました。

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 二の丸東側の堀切です。

*1563年、謙信が再度この地へ侵攻すると、桐生氏はまた、降伏しました。
 この過程で、黒川衆は桐生氏の配下を離れ、謙信の直接支配を受けるようになったと考えられます。

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 「い」の屈曲侵入路です。

*1566年、武田信玄が箕輪城を攻略、上杉謙信の関東での退勢が決定的となったため、大田金山城の由良氏は謙信の配下を離れ、北条氏に従いました。

 桐生氏は謙信サイドの姿勢を保持しました。

 謙信は沼田から利根川沿いに前橋へ進出する道を信玄に脅かされたため、沼田から根利経由で、五覧田、神梅、高津戸、桐生、唐沢山へと向かうこととなりました。

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 屈曲侵入路を通過して、本丸方面を撮影しました。右手前が「あ」の郭の塁壁で、奥が本丸塁壁です。

*1569年、北条氏と謙信との和睦が成立し、上野は謙信に属することとなりました。東上州にも謙信の勢力が再び扶植されたと推察されます。

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 「あ」の郭です。屈曲侵入路を通過した攻城兵の出鼻をくじく役割があったと思われます。

 「桐生城第5話 ~ 桐生氏滅亡」へ続く・・・

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Comment
Re: 技巧に優れた城かと・・
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 過日は有難うございました。

 青柳城は、細尾根を断ちきった連郭構造ですが、尾根脇に通路を設けたり、尾根筋を通らせたり、それが交互になっているなど工夫がされていますね。

 二重堀切から、竪堀がぐぐっと曲がって降りて行くのも個性的です。

 濃厚な記事を拝見いたしました。現在お絵かき中ですので、後日、薄く伸ばした記事を配信いたします。
技巧に優れた城かと・・
相変わらず精力的に掲載されており羨ましい限りでございます。小生などは一つの記事を書くのに6時間以上かけて内容はさっぱりかと‥(笑)

本日、貴殿とMさんと攻めた青柳城の記事をリバイスしました。改めて記事を書いていると、この城は中信濃を代表する素晴らしい遺構を持った山城なのだと感慨ひとしおでございます。
やはり何度か訪れないとその城の持つ素晴らしさは分からないものなのだと思った次第です。
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