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超図解武蔵松山城(6) ~ ならず者召集

 松山城の第6話です。
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 二曲輪の一部が南西に突出している部分から、本曲輪の櫓台「G」を撮影しました。

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*1585年、豊臣秀吉は関白に就任します。

 翌1587年には、徳川家康が、秀吉に屈服し、天下の趨勢はホボ定まったという雰囲気が日本全国を支配しましたが、北条氏は「犬猿の仲である上杉氏」が秀吉に重用され「東国取り次ぎ役」などと呼ばれていることが許せませんでした。

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 本曲輪に入りました。

*北条氏は、「徳川と北条が和睦した際、上州は北条と約束したのに、未だ果たされていない。秀吉がこの約束を守らせることが出来るなら上洛しましょうなどと言って、上洛を拒否するという愚行に走ったのでした。

 秀吉は、沼田領の3分の2を北条へ、3分の1を真田へと裁定を下しました。

 沼田領だけ見れば北条の取り分が多いように感じますが、吾妻領はそっくり、真田に残されました。北条は沼田領と吾妻領の全ての領有を望んでいたので、この裁定に納得していませんでした。

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 本曲輪櫓台から見た、二曲輪南東方向です。

*1589年、北条氏は沼田城代猪俣邦憲をして、真田の名胡桃城を奪取せしめました。秀吉は激怒し、北条氏に宣戦布告。全国に動員令をかけるのでした。

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 本曲輪櫓台から見た、二曲輪東方向です。

*その時の松山城主は、上田憲定でした。彼が領民に対して発した書状が残っています。

 秀吉勢が攻めてくるので、城に籠って欲しい。

 籠る際は、小旗、鉄砲、弓、槍等持って来て下さいね。
 
 泥棒さんだって、前科者だって、借金を返して無い者だってかまわないよ。城に籠って戦ってくれるんだったら、全部赦しちゃうよ。

 松山城はならず者までも招集しなければならないほど、困窮していたのでした。

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 本曲輪櫓台から見た、二曲輪北西方向です。

*書状に応じて松山城に扱った人数は・・・

 屈強の侍200余人

 雑兵2300余人ということです。

 「松山城第7話 ~ 前田利家と上杉景勝」へ続く・・・

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