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超図解武蔵松山城(5) ~ 上杉謙信越山

 松山城の第5話です。

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 三曲輪から見上げた、二曲輪の塁壁です。

*関東古戦録によりますと・・・

 謙信が越山をして救援に駆け付けるとの報を受け、武田の重臣飯富昌景は、信玄へ・・・

 「上杉と里見の救援があれば、松山城の攻略は諦めるほかありません。要害中の要害なので、力攻めは出来ません。」

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 東側から見たイメージ図です。

*信玄はそれに応えて・・・

 「そうであれば策を用いよう」 大田三楽斎の知り合いの勝式部少輔を味方につけ、松山城内へ差し向けました。

 勝式部少輔は、松山城主上杉憲勝に面会すると、「大軍に囲まれて、救援は来ません。あなた方は良く戦いましたが、このままでは全員討死です。城を明け渡して下さるなら、北条から別途領地を差し上げて、一族郎党が安心して暮らせるようにいたします。」

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 三曲輪の北側の一段低くなっている部分です。

*城内では、情報が遮断され、上杉謙信が既に関東へ入っていることを知りません。

 また、水の手を断たれているので、これ以上の籠城は無理であると判断し、和議に応じることにしました。

 1563年2月のことでした。

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 左が二曲輪で、中央が堀、右が三曲輪です。二曲輪の方がかなり高い位置にあることがわかります。

*甲陽軍鑑によると、上杉謙信が救援に駆け付けたのは、松山城が開城した2日後であったとのことです。

 関東古戦録によると謙信は・・・

 「上杉憲勝のような軟弱者に城を預け、謙信に無用の後詰めをさせるとは、不都合極まりない」と大いに怒ったとのことです。

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 二曲輪に入りました。

*1568年、武田信玄が「甲州、駿河、相模三国同盟」を破棄し、駿河に侵攻します。

 北条氏康は、同盟破棄に怒り、武田と断絶し、上杉謙信へ和睦を求めます。

 上杉謙信は「松山城を返却するなら和睦してやっても良いぞ」と条件提示をしました。

 松山城が如何に重要な城であるかを知ることが出来ます。

 北条氏康は、「松山城を上田氏から取り上げたら、上田氏は信玄と結んで武田勢を引き入れ、厄介なこととなります。どうぞ、お考え直しを」と抵抗し、松山城を明け渡すことはありませんでした。

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 ニ曲輪南側の塁壁です。奥に本郭が写っています。

*やがて氏康は死に、信玄が死に、謙信が死に、織田信長が死に、北条家を継いだ北条氏政は関東の覇者として地位を確固たるものとしていきます。

 「松山城第6話 ~ ならず者召集」へ続く・・・

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