HOME   »  中世城郭  »  超図解武蔵松山城(3) ~ 軍用犬活躍!

超図解武蔵松山城(3) ~ 軍用犬活躍!

 松山城の第3話です。

 前話までは、北側の郭たちを紹介しました。攻城兵が尾根筋の郭を制圧する以前に北側の郭に侵入すると大変なことになる説明をさせて頂きました。

 今回からは、攻城兵が尾根筋を攻めるとどうなるかを解説いたします。

GEDC2100.jpg
 「あ」から、四曲輪へ登っていきます。

*川越合戦の後、北条氏康が松山城を接収します。

 松山城主上田氏は腰越城へ逼塞していましたが、翌1547年、岩槻城主大田三楽斎と共に松山城を奪回。

 北条氏が松山城へ圧力をかけると、上田氏は更に、北条氏へと寝返り、松山城の確保に専心します。

 松山城は、北条家配下上田氏の城として、安定した状態が続きますが・・・

w002_20120613112455.jpg
 尾根筋は、四曲輪から本曲輪まで、深さ8~10メートルの堀で三重に遮断され、明確な小口がありません。また、上位の郭の方が高度を増しており、常に上位の郭からの射撃に制圧されるように計算されています。

*1560年、上杉謙信が、関東管領上杉憲正を奉じて関東を席巻し、松山城を接収します。

 松山城は、岩槻城主大田三楽斎の管轄下に置かれます。

 上杉謙信が越後へ帰国すると、北条氏は持城を次々と回復していきますが、松山城はなかなか回復できませんでした。

 このときのことと思われる逸話が「甲陽軍艦」に記されています。

GEDC2102.jpg
 四曲輪に迫りつつあります。

*大田三楽斎は、岩槻にて飼っていた犬50匹を松山城へ移した。

 北条氏康が松山城に出陣し、周囲を包囲した。城内では岩槻へ援軍を請おうと考えた。

 5騎ほどで使者を立てても、北条軍に殺されてしまい、岩槻まで知らせることはできない。

GEDC2103.jpg
 曲輪四と表示されています。

*かねてから大田三楽斎は松山城の守兵に秘策を授けていた。

 竹筒を一握りほどの長さに切り、中に手紙を詰め、両側をふさぎ、犬の首に括りつけ、10匹を放した。

GEDC2104.jpg
 四郭の中央部分です。兵士が駐屯する充分な広さが確保されています。

*犬は難なく岩槻城へたどり着き、大田三楽斎はすぐさま、松山城へ援軍を送り、松山城は事なきを得た。

 人々は何故この様に早く援軍が現れたのか不思議に思い、大田三楽を今まで以上に警戒することとなった。

GEDC2106.jpg
 右が四曲輪、中央が堀、左が三曲輪の塁壁です。

*北条氏康は、松山城奪回に手を焼き、助っ人を呼ぶことにしました。

 「松山城第4話 ~ 武田信玄参陣」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
スポンサーサイト
Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード