HOME   »  中世城郭  »  超図解武蔵松山城(2) ~ 和歌合戦

超図解武蔵松山城(2) ~ 和歌合戦

 松山城の第2話です。

GEDC2092.jpg
 葱郭から、「F」郭方面を撮影しました。右側から竪掘が食い込んいます。

*栄華を誇った扇谷上杉氏ですが、小田原北条氏が北上を始めると、次第に圧迫されるようになります。

 1538年、現在の入間アウトレット付近で、両軍は激突! 扇谷上杉氏は大敗を喫します。
w001_20120613093508.jpg
 葱郭から「F」郭への道は、大竪掘が食い込み、「E」郭からの攻撃を受け、兵糧郭から下る土塁に阻まれるというった、堅固な守りとなっています。

*扇谷上杉家重臣難波田善銀は、幼い主君、扇谷朝定を本拠の川越城から撤退させ、松山城へと籠ります。

GEDC2093.jpg
 通路から見下ろした大竪堀です。

*北条氏政は、松山城へ進撃、難波田善銀は城から打って出て、北条軍を迎え撃ちます。

GEDC2083.jpg
 下から見上げた大竪堀です。岩盤をくりぬく普請が行われています。

*しかし、北条軍の勢いは強く、難波田善銀は松山城への撤収を図ります。
 この時、北条軍の中山主膳が、和歌で問いかけました。

 悪しからじ、良かれとてこそ、戦はめ、など難波田の崩れ行くらん
(悪くはならないだろう、良くなるはずだと考えて出陣したのでしょう? それを何故撤退すのですか? まるで田んぼが崩れるようですよ)

IMG_3192.jpg
 難波田膳銀は、風雅にも和歌にて返答しました。

 君おきて、あだし心を我持たば、末の松山、波も越えなん
(幼い主君を残して、私が武士の意地だけで討ち死にしたら、松山城は、北条軍の波に飲み込まれてしまうことでしょう、それはあってはならないことです。)

 中山主膳は、この返歌に感じ入ったとのことです。

GEDC2096.jpg
 「F」郭から、兵糧郭への登り口です。

*さて、何とか松山城を死守した難波田膳銀は、扇谷上杉家復興の為、奔走します。

 長年争いを続けていた、関東管領山内上杉氏に頭を下げ、その傘下となり、川越城奪回の兵を上げてもらったのです。

GEDC2098.jpg
 兵糧郭に入りました。

*北条氏康に奪われた川越城を奪回せんと、1545年、関東管領山内上杉憲正は北関東の諸将に号令し、6万の兵で川越城を包囲します。扇谷上杉軍も当然、包囲に加わりました。

 難波田膳銀は、更に、北条氏康と縁続きで歩調をあわせていた古河公方にも接近します。

 膳銀は、古河城に乗り込み公方を説得します。

 「元々、関東管領は公方の家臣です。過去には何かとございましたが、今からは忠勤を励みます。北条氏康が縁者なので可哀想に思われるのは当然ですが、北条家は元々公方の土地であった伊豆、相模、武蔵を簒奪しました。この勢いのまま、公方を滅ぼそうとタクランデイルノデス。一緒に北条氏康を倒して、関東に安寧の世を築きましょう。」

GEDC2097.jpg
 兵糧郭は、それほど広くありません。「F」郭にも兵糧が積まれていたことと思います。

*古河公方は、説得に応じ、2万の兵を出し、川越城を包囲する兵は総勢8万となります。川越城の守兵は3千・・・

 膳銀は思ったことでしょう。「川越城奪還はもう確実だ・・・」

 翌1546年、北条氏康は8千の兵で、8万の兵に夜襲をかけ・・・

 包囲軍は大敗北・・・ 扇谷上杉定朝と難波田膳銀は、討ち死に・・・

 室町期から関東に覇を称えた扇谷上杉家は、滅亡してしまうのでした。

 「松山城第3話 ~ 軍用犬活躍」へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
スポンサーサイト
Comment
Re: 松山城縄張り図
お師匠! 御来訪ありがとうございます。

 イメージ図にお言葉を賜り、有難うございます。

 最近、少しは描写力が上がってきたのではないかと調子に乗って、超図解シリーズを連載し始めました。
 
 実測平面図派からは、さげすまれているとは思うのですが、実測平面図ではイメージしにくい高低差や立体感をお伝えできればと、頑張っております。

 伊藤潤氏が長尾景春の小説を完成させたものの、出版社の理解が得られす、日の目を見ないことを、伊藤氏本人が嘆かれていると知り合いから伺ったことがあります。

 ツイニ日の目を見たのですね!

 早速、発注しました。情報提供有難うございます。

 今年の夏はまた、東北を攻めようと計画しております。

 秋になりましたら北上州の城について、また、ご指南頂きたいと思っております。

 その際は、よろしくお願いいたします。

> この縄張り図はわかりやすく、感心しました。掲げられている看板の縄張り図よりも立体的で素晴らしいと思います。伊東潤氏の小説「叛鬼」は長尾景春を主人公にして上杉顕定と扇谷定正との戦いなど、とても詳しく書かれています。太田道灌との死闘も知っている山城が次々登場しますので、感慨ふかく読んで行けます。
>  最近は信州坂井村の安坂城に上ってきました。石版を使用した山城で感動してきました。
Re: 上田さん
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 松山城は堅城ですが、滝山城や小田原城に勝るかといえば
疑問です。

 北条氏康が奪回の為に信玄を招いたのは、上野、下野、武
蔵の北と東が、謙信の圏内だったことが大きいと思います。

 しかし、私は松山城の縄張りが大好きです。

> 上田さんの領地と松山城のあたりの城
> には上田さんがかかわっていそうかなあ
> とおもいまして。
>
> ところで、北条さん
> 武田さんを援軍に呼ぶとは
> よほどの堅城だったのでしょうね
松山城縄張り図
この縄張り図はわかりやすく、感心しました。掲げられている看板の縄張り図よりも立体的で素晴らしいと思います。伊東潤氏の小説「叛鬼」は長尾景春を主人公にして上杉顕定と扇谷定正との戦いなど、とても詳しく書かれています。太田道灌との死闘も知っている山城が次々登場しますので、感慨ふかく読んで行けます。
 最近は信州坂井村の安坂城に上ってきました。石版を使用した山城で感動してきました。
上田さん
上田さんの領地と松山城のあたりの城
には上田さんがかかわっていそうかなあ
とおもいまして。

ところで、北条さん
武田さんを援軍に呼ぶとは
よほどの堅城だったのでしょうね
Re: 連続でスイマセン
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 松山城は大変複雑な造りで、私も理解に苦しむところがあったのですが
菅谷城にある博物館で、大変詳細な実測地形図を入手出来まして、今回、
ようやく腑におちました。

 この地方の城の縄張りの共通点はあるようでないようで・・・

 菅谷城と青鳥城は半囲式縄張りが共通しています。
 杉山城と小倉城は比企型小口が共通しています。
 杉山城と中城は比高二重土塁の土塁上を通路とした伏兵出撃路が共通し
ていますね。
連続でスイマセン
松山城、青島城、山田城、羽尾城、菅谷城、杉山城、
高谷城、中城、腰越城、青山城、小倉城
あたりの城には、
縄張りの共通性があるのではないかと
睨んでいるのですが
調査をしていただければ幸いです。
すずしい秋にでも、どうですかねえw
わかりやすいです
松山城の縄張りは難しくて
ほったらかしにしていたのですが
武蔵様の図でようやく理解できました。

城内道がわからないと
縄張りは理解しにくいですよねえ
Trackback
 松山城の第2話です。 葱郭から、「F」郭方面を撮影しました。右側から竪掘が食い込んいます。*栄華を誇った扇谷上杉氏ですが、小田原北条氏が北上を始めると、次第に圧迫されるようになります。 1538年、現在の入間アウトレット付近で、両軍は激突! 扇谷上杉...
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード