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超図解腰越城(7) ~ 屈曲侵入路

 腰越城の第7話です。

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 三ノ郭に入りました。左側に小口があります。奥の方の右側から堀が食い込んでいます。

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 腰越城の通路は激しく屈曲しています。

 三ノ郭内部だけでも、東へ、北へ、西へ、北へと4回の方向転換を強いられます。

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 枡形です。ここでも北へ、東へ、北へと方向転換を強いられます。

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 ニノ郭への通路は狭く、攻城兵の進入を制限しています。

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 ニノ郭です。

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 ニノ郭右上の??の段郭が、、ニノ郭から本郭へ攻める攻城兵への防御にあまり役立っていない。何故、この段郭があるのだろうと十数年前から疑問に思っていました。

 今回、図を書いていて気がつきました。「C」から二ノ郭へ取り着こうとする攻城兵へ備える意味があったのですね。

 ニノ郭から本郭へ至る道も、屈曲しまくっています。

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 小口前郭です。

*1537年、扇谷上杉氏は北条氏との戦いに敗れ、居城の川越城を放棄して、上田氏の松山城に逃げ込みます。主家に松山城を接収された上田氏は腰越城に本拠を移したと思われます。

 1546年、川越の野戦で扇谷上杉氏が滅亡すると、上田氏は北条氏に降り、松山城を回復します。

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 本郭の小口です。

*1560年、上杉謙信が関東を席巻すると、松山城は謙信に取られてしまいました。

 1562年、北条氏康は、武田信玄と共に松山城を包囲し、翌1563年にこれを奪回します。

 「関東古戦録」には、「北条氏は、松山城に上田晴礫斎を戻し、青山・腰越の砦と共に堅く守らせた。」との記述があります。

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 本郭です。

*1590年、豊臣秀吉により、北条氏が滅ぼされると、上田氏も没落、この地にて帰農したと推察されます。

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 本郭から見た小川町方面の景色です。

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 東側から見た腰越城の遠景でお別れです。

 土の城派縄張りオタクノ皆さんにお薦めの城です。

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