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超図解腰越城(1) ~ あやかしの城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年5月13日、腰越城に行って参りました。埼玉県比企郡小川町腰越にあります。

青山アク

 八高線小川町駅付近から、県道11号を4キロほど南西へ進むとあります。県道が大きく湾曲した部分の内側に位置します。

GEDC1978.jpg
 県指定史跡で看板もあるのですが、駐車場はありません。

*腰越城は上田氏の城です。上田氏は松山城主として有名です。上田氏が松山城在城時は、上田氏配下の豪族が腰越城を守っていたと思われます。しかし、松山城は関東の中原に位置する為、しばしば巨大勢力の争奪の対象となり、上田氏には「松山城を接収され、東秩父村に逼塞せざるを得ない事態」が度々生じました。

 東秩父村の谷への入り口を塞ぐ蓋のような位置に、腰越城はあり、腰越城は上田氏が最後の生き残りをかけた、一所懸命の城であり、防御のみに専念した、研ぎ澄まされた縄張りが見事に残存しています。

 また、攻城兵を混乱に陥れる為、幾つものトラップが仕組まれており、あやかしの城と言っても良いほどです。

GEDC1980.jpg
 民家の間を抜けていきます。

*本レポートでは腰越城のあやかしを、3方向からの図解で縄張り解説いたします。

GEDC1981.jpg
 門が復元されています。

*上田氏の出自は諸説あり定かではありませんが、1416年、上杉禅宗の乱の際、「松山城主上田上野介討ち死に」の記録があり、1400年代にはこの地を治めていたことがうかがえます。

GEDC1982.jpg
 この付近は昔から榎戸と呼ばれ、大手門があったとの伝承があるそうです。発掘調査で門柱跡が発見されたのではなく、城跡のムードを盛り上げる為に設置されたようです。

*上田氏は相模にも領地があったようですが、小田原北条氏の進行により、相模の領地は失われてしまいました。

GEDC1983.jpg
 尾根筋が見えてきました。削平地もありますね。

 「腰越城第2話 ~ 消える登城路」へ続く・・・

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