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菅谷城(8) ~ 謎は深まる

 菅谷城の最終話です。

*さて、第2話において、長享の乱のさい、山内上杉方の参謀が「扇谷上杉氏の川越城に対抗し、山内上杉氏の鉢形城の防備を固めるため須賀谷旧城を再興すべし」と進言したとの記録があり、「須賀谷→菅谷」城が再興され使用された説を紹介いたしました。

 長享の乱(1487年~1505年)の次点で「古城」と表現されているわけですから、それ以前に築城され、捨て置かれていたということになります。

GEDC2076.jpg
 本郭北西側の土塁です。

*以下、個人的妄想を・・・

 「日本城郭体系」には、1440年、鎌倉公方の遺子を旗印に結城氏の反乱を鎮圧するため諸国から軍勢が招集され、その一部は青鳥城に陣取ったと記載されています。

 青鳥城は結城城を攻めるには遠すぎますが、兵站基地として使用されたのだと思われます。

 当時、上州の豪族が公方への恩義を忘れず、包囲軍へ攻撃を加えるとの噂が流れていましたので、兵士や兵糧の補給を確保するために、築城が必要だったと思われます。

ssugaminami.jpg
 南から見たイメージ図です。技巧性が少ない部分は描写意欲が低くなり、かなり雑です。

*結城城包囲に動員された兵力は10万とされ、兵站確保も大規模に行わなければならなかったでしょう。

 青鳥城は菅谷城と僅か4キロしか離れていません。

 そして、後背を低地に依存し、半囲郭式に城域を広げる縄張りは酷似しています。

GEDC2078.jpg
 本郭から南へ一段下がった場所に土塁があります。

*結城合戦のおり、信州、上州、武蔵の軍勢の集結場所を確保するため、菅谷城と青鳥城が築城もしくは拡充され、軍勢の大半は結城城へ向かったが、上州の公方寄り勢力に兵站線を分断されないように、両城にもそれなりの守兵が配置されたのではないか?

 以上、歴史素人の妄想でした。言ってみたかっただけですので、参考になさらないで下さい。

GEDC2079.jpg
 腰郭です。

*さて、菅谷城が長享の乱以降使用されなかったのかについて・・・

 折りの付いた巨大な土塁と、変形角馬出しの技巧性は戦国期の使用を物語るとの主張を曲げない方もいらっしゃいます。

 しかし、出土品は14世紀から、15世紀前半のもので、北条氏がこの地へ進出する、15世紀後半のものはありません。北条氏の文書にも菅谷城の記載はありません。

GEDC2080.jpg
 南郭の、腰郭側から見あげた比高二重土塁の低い方の土塁です。

*出土品は、北条氏がこの地を治めた16世紀後半のものが無く、そして、何と関ヶ原の戦い以降の17世紀のものがあるとのことです。

 関ヶ原の戦いに伴う大名の配置換えで、この地を与えられた者が陣屋的に使用したのでしょうか?

 そのあたりの記録も存在しません。

GEDC2081.jpg
 南郭から見上げたニノ郭方面です。段々になっています。

*現状の論争からの落とし所は、長享の乱の後も菅谷城は山内上杉氏により使用、拡充、整備された。山内上杉氏は、横矢や馬出しの技術を備えていたというところでしょうか・・・

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Comment
Re: なぞといえば
丸馬だし様 ご来訪ありがとうございます。

 三国峠の荒戸城は、御館の乱の際、上杉景勝の配下により
築城されたと想定されていますね。
 本廓への進入路の起点にが竪掘が食い込み、本郭の塁壁を
巻き込むように高度を上げ、本郭の側面の小口へと到達しま
す。

 一方、長野県の新潟県境近くの仙当城にも、同様のコピー
商品のような進入路があります。

 縄張りの高度な技術を持った人物は、方々から声がかかり
高額で雇い入れられ、築城がすむと、また、次の城へと渡り
歩いていたのかもしれませんね。

> なぞといえば、越後の荒戸城もです(個人的にですが)
> 越後のお城は技巧的な城が少ない
> 印象があるのですが
> 荒戸城は異質で、縄張りの教科書があったら
> 掲載されていそうな位に技巧的なお城ですよね。
> 越後に逃れた上杉さんの技術者
> (杉山城を設計した方)が作った可能性を考えると
> それもありかなあという気がいたします。
> いずれにしろ、上杉さんの縄張りの技術は
> 当時としては、相当なレベルだったのかもしれませんね。
なぞといえば
なぞといえば、越後の荒戸城もです(個人的にですが)
越後のお城は技巧的な城が少ない
印象があるのですが
荒戸城は異質で、縄張りの教科書があったら
掲載されていそうな位に技巧的なお城ですよね。
越後に逃れた上杉さんの技術者
(杉山城を設計した方)が作った可能性を考えると
それもありかなあという気がいたします。
いずれにしろ、上杉さんの縄張りの技術は
当時としては、相当なレベルだったのかもしれませんね。
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 菅谷城の最終話です。*さて、第2話において、長享の乱のさい、山内上杉方の参謀が「扇谷上杉氏の川越城に対抗し、山内上杉氏の鉢形城の防備を固めるため須賀谷旧城を再興すべし」と進言したとの記録があり、「須賀谷→菅谷」城が再興され使用された説を紹介いたしまし...
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