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菅谷城(3) ~ しとみ土塁

 菅谷城の第3話です。

GEDC2045.jpg
 木橋の先には門があったとのことです。

*さて、この城に関する確実な記録はありません。確実性だけを追い求めるとつまらないレポートとなっていしまいますので、かかわりがあるかも知れない、ものを・・・

 「小田原北条記」によると・・・

 1488年6月18日、山内上杉顕定は息子の憲房と二千余騎で須賀谷原へ出陣した。そこで関東勢が駆け加わって軍勢は雲霞のようにあふれた。

 扇谷上杉定正は、雌雄を決するため、息子の五郎朝良を引き連れ八百騎で駆け付けた、古河公方が五百騎で出馬し、長尾景春も同調した。

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 門を入った先に土塁があります。

*両軍ともときの声をあげ、五郎朝良の二百騎と、山内勢が攻め合いになり、朝良は踏みこらえきれずに追いたてられた。

 山内上杉顕定親子は、横合いに攻めかかって、朝良を討ちとどめようとした。

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 上の写真の土塁は、「しとみ土塁」と言い、西ノ郭から、三ノ郭内部を見通せないように設置されたとのことです。

*扇谷上杉定正はこれを見て「朝良を討たすな。者ども!」と指図してわめき声をあげ、馬を走らせた。

 山内上杉顕定の兵は攻め崩されて退却した。

 そのあと扇谷方の長尾景春と、山内方の藤田重利(秩父天神山城主)がぶつかりあい、火花を散らして攻めあった。

ssugakita.jpg
 しとみ土塁の位置をご確認ください。

*藤田が重傷を負い、退くと、長尾景春は機に乗じて指揮をとり「かかれ!かかれ!」と攻め立てた。

 山内顕定の旗本は崩れ、我先にと退いていった。

 山内顕定は「きたないぞ、戻れ!」と叫んだが、全軍浮足立っており、山内顕定は追いたてられた。

GEDC2048.jpg
 三ノ郭の西側部分は林になっています。もう少し整備して下さるとありがたいのですが・・・

*扇谷定正は勝ちに乗じて追撃したが、日は既に暮れていたため「深追いをするな」と引き返した。

 定正は、古河公方政氏を古河の御所へ送りいれ、自らは帰陣した。とのことです。

GEDC2049.jpg
 三ノ郭の東側は、芝生公園として整備されています。

 木が配置してあるのは、発掘調査の結果発見された、掘立建築物の堀立て穴の位置を示しています。

 左側の建物が、嵐山史跡の博物館です。

 「菅谷城第4話 ~ 伏兵出撃路」へ続く

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