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菅谷城(2) ~ 水堀現存

 菅谷城の第2話です。

GEDC2039.jpg
 三ノ郭北側には水堀があります。

*さて、2~30年前、菅谷城は北条氏の築城であるとする説が、有力な時代がありました。

ssugakita.jpg
*堀幅や土塁の高さは戦国期を物語っていますし、土塁に折りをつけて横矢攻撃を可能にしている点、角馬出しと張り出しやぐら台のセットは北条氏の城に良く見られる構造だからです。

 縄張り観察派の方々の主張でした。

GEDC2040.jpg
 西郭の西側の堀です。

*北条氏築城説に対し、古文書研究派の皆さんから異議が出されました。

 北条氏の記録には、周辺の松山城、青山城、腰越城の名は出てくるが、菅谷城の名前は出てこない。

 北条氏が、築城、改修、駐屯、いずれかの措置をとれば、記録に残るはずである。北条氏は菅谷城にかかわっていないとの主張です。

GEDC2042.jpg
 西の郭に入りました。広大です。

*発掘遺物研究派の皆さんも、異議を唱えました。

 菅谷城で発掘された陶器等は、山内上杉氏時代を示唆するものであるとの主張です。

 つまり、菅谷城は北条氏がこの地を制圧する以前に、この地に君臨していた関東管領山内上杉氏が使用していたということになります。

GEDC2043.jpg
 西ノ郭内部から、西側の土塁を撮影しました。

*古文書研究派の方も山内上杉氏の使用を主張しました。

 山内上杉氏と、扇谷上杉氏が争った長享の乱のさい、山内上杉方の参謀が「扇谷上杉氏の川越城に対抗し、山内上杉氏の鉢形城の防備を固めるため須賀谷旧城を再興すべし」と進言したとの記録があり、「須賀谷→菅谷」城が再興され使用されたのではとの主張です。

GEDC2044.jpg
 西ノ郭から、ニノ郭への木橋が復元されています。

*1488年、扇谷上杉定正と長尾景春の連合軍が、山内上杉領に侵攻し、両軍が須賀谷原で激突したとの記録があり、この記録も山内上杉軍が菅谷城を拠点に迎撃したのではないかとの推論を補佐しています。

 「菅谷城第3話 ~ しとみ土塁」へ続く

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Comment
Re: 人数からの推測ですが
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 確かに境目と中継基地の差でしょうね。

 山内上杉と扇谷上杉の戦いに、越後からも軍勢が駆け付けた記録が
ありますから、それなりの広さが必要だったと思われます。

> (地域の地形がまったくわかっていないのですが)
> 推測ですが、杉山城は境目の城で
> 菅谷城は大軍の中継基地もしくは、
> 集結地だったのではないでしょうか。
> 仮に上杉氏の城だとすると
> 北条さんに追い詰められていた
> 緊迫感が伝わってきますね
人数からの推測ですが
(地域の地形がまったくわかっていないのですが)
推測ですが、杉山城は境目の城で
菅谷城は大軍の中継基地もしくは、
集結地だったのではないでしょうか。
仮に上杉氏の城だとすると
北条さんに追い詰められていた
緊迫感が伝わってきますね
Re: 集中防御
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 滝山城ですよ!
 滝山城の本郭周辺は大石氏の古い造りですが、二郭から
外側は北条によるものとされています。
 二郭の小口と馬出しの連動が、菅谷城近くの杉山城とサ
イズが違うだけで瓜二つの部分があるのです。
 縄張り派は、北条が杉山城で試して、滝山城で本採用し
たと解釈していたのですが・・・
 発掘調査の結果、杉山城には北条はかかわっていないと
いうことになり・・・
 杉山城を造った上杉さんの家臣を吸収した北条さんが、
築城技術も吸収し、滝山城へ生かしたとの解釈になってき
ています。

 杉山城も菅谷城も素晴らしく技巧的な城で、すぐ近くに
あるのですが、杉山城は百数十人で守る規模。菅谷城は数
千人で守る規模とサイズが違うのも不思議です。

> 滝山城に見られるように
> 北条さんの城には集中防御の
> 思想があるようですので
> 馬出し部分は集中防御の思想が感じられますねえ。
> また、
> 権威者方々の議論はそれはそれとして
> 在野の私どもは単純に、現在残っている縄張りから
> 妄想するのみですから、自由な妄想で
> いけばいいのではないでしょうか。
> 武蔵様の妄想に興味心身です(笑
集中防御
滝山城に見られるように
北条さんの城には集中防御の
思想があるようですので
馬出し部分は集中防御の思想が感じられますねえ。
また、
権威者方々の議論はそれはそれとして
在野の私どもは単純に、現在残っている縄張りから
妄想するのみですから、自由な妄想で
いけばいいのではないでしょうか。
武蔵様の妄想に興味心身です(笑
Re: 縄張りからすると
丸馬出様 御来訪ありがとうございます。

 おっしゃる通りなのです。
 半囲郭ででかいだけでしたら、古い城で納得がいくのですが・・・

 張り出し櫓台とC地点の構造、そして、変形角馬出しを勘案すると
新しい感じがするのですよ!

 妄想断定好きの私でも、どう処理して良いのか・・・

 今後の論争を待たねばならないかと・・・

> 張出しの櫓台、C地点、馬出
> のあたりは北条さんの改修が
> ありそうなようすですが、
> 実際はどうなんでしょうかね。
> これだけ大きい城は駐屯地としては
> 理想的ですから、ほったらかしで
> 使われなかったってことは
> ないのではとおもわれますが・・・。
縄張りからすると
張出しの櫓台、C地点、馬出
のあたりは北条さんの改修が
ありそうなようすですが、
実際はどうなんでしょうかね。
これだけ大きい城は駐屯地としては
理想的ですから、ほったらかしで
使われなかったってことは
ないのではとおもわれますが・・・。
Re: すいそくですが
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 山内&扇谷上杉さんは、北条に追い出されてしまったので、弱いイメージしか
ありませんが、実は優れた築城技術を持っていたようですね。

 何しろ、長享の乱等で延々と戦い続けているわけですから、実戦の経験は他の
追随を許さない、ダントツです。

 北条は両上杉の家臣を配下に収める過程で、その築城技術を吸収していったの
でしょうね。

 今、腰越城の記事を作成しております。好きな城は伝えたい要素が多すぎて、
あれこれと考えているうちに時間だけが過ぎ去ってしまいます。
すいそくですが
上杉さんもレベルの高い技術を持っていた
ようですのでので、上杉さんの縄張りでも
おかしくないかなあと思っていますが、
占領後に、要所だけ北条さんが改修している
可能性もありますので、
結論はどうなんでしょうかねえ。

ただ、最近思ったのですが
当時、戦をたくさん行っていた大勢力の城は
弱点を改修していくうちに似たような
構造になっていったのではと妄想しております。
その点で考えると上杉さんの戦闘回数は
北条さんと同じレベルだと思いますので
お城の技術も高かったのではと妄想しています。
Re: 謎の城郭ですねえ~
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 「勝者が歴史を書き換えた」は、現代の論争の中にもあるのではないかと、妄想を広げたりしています。
 本レポートの後半に記述するのですが、後北条氏が支配した50年間だけ発掘遺物が無くて、その前後の発掘遺物があるのは、不自然ではないか・・・
 縄張り研究派を追い落とすために発掘遺物の分析に何らかの・・・
 これ以上は慎んでおきます。(笑)

> 時政さんの私利私欲のために名将畠山さん滅亡してしまいましたネ。義時さんもオヤジを止められなかったらしいのですが、貴殿が常々仰せの通り「勝者が歴史を書き換えた」と思える節があり義時さんも怪しいものです(笑)
> この城の経歴、謎に包まれているようですねえ。
> 後北条氏に係わるものが発見されるとスッキリするんでしょうが、やはり上杉さんの城だったんでしょうか。
> 中世の城郭としては保存状態も良いみたいですネ。
謎の城郭ですねえ~
時政さんの私利私欲のために名将畠山さん滅亡してしまいましたネ。義時さんもオヤジを止められなかったらしいのですが、貴殿が常々仰せの通り「勝者が歴史を書き換えた」と思える節があり義時さんも怪しいものです(笑)
この城の経歴、謎に包まれているようですねえ。
後北条氏に係わるものが発見されるとスッキリするんでしょうが、やはり上杉さんの城だったんでしょうか。
中世の城郭としては保存状態も良いみたいですネ。
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 菅谷城の第2話です。 三ノ郭北側には水堀があります。*さて、2~30年前、菅谷城は北条氏の築城であるとする説が、有力な時代がありました。*堀幅や土塁の高さは戦国期を物語っていますし、土塁に折りをつけて横矢攻撃を可能にしている点、角馬出しと張り出しやぐ...
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