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菅谷城(1) ~ 謎の巨大城郭

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年5月13日、菅谷城に行って参りました。

菅谷アク

 埼玉県比企郡嵐山町菅谷にあります。
 嵐山史跡の博物館の敷地がそれにあたります。

GEDC2038.jpg
 表示は「菅谷館跡」となっています。

*鎌倉時代の豪族「畠山重忠」の居館「菅谷館」であると推定されています。しかし、あくまでも推定であり、鎌倉時代の遺構や遺物は発見されていません。

 地元の英雄「畠山重忠」の城は立派なものであったに違いない。いや、立派なものであってほしいと期待する地元の歴史研究家が、確かな記録のないこの巨大な城跡と、畠山重忠を無理やり結びつけてしまったのが始まりです。城郭研究が進んでいなかった時代の初歩的ミスです。鎌倉期の豪族の拠点は狭い方形館であるというのが、城郭研究の進んだ現在の常識です。いかに畠山重忠といえども例外ではなかったはずです。

GEDC2034.jpg
 関越自動車道東松山インターから国道254号を西進し、上の写真の看板で左折すると、嵐山史跡の博物館へたどりつきます。両側に土塁が見えますね。博物館は城内にあります。

*畠山重忠は、政敵の讒言により謀殺され、この地武蔵の所領は没収されましたので。畠山重忠の屋敷は見せしめの為、破却されたと考える方が自然であると思います。

 ちなみに、畠山重忠の子孫は岩手県の所領へ移り、 「浄法寺城」 を築き、浄法寺氏を名乗ります。

 以上、述べてきた私見から、このレポートでは畠山重忠の「菅谷館」ではなく、築城・戦歴不明の「菅谷城」として、紹介させて頂きます。

GEDC2032.jpg
 先ほど入ってきた道は、菅谷城の搦め手にあたります。

 博物館に車を停めると、城内の散策路が見えますが、まず始めに一旦城外へ出て、城の外回りから踏査することをお勧めいたします。

ssugakita.jpg
 北側から見たイメージ図です。先人の平面図から起こしました。

 近世に破壊された「三ノ郭と二ノ郭Bの間の土塁と堀」は、古図面を基に復元しています。

 菅谷城は雄大な規模を誇り、その外回りの堀も幅10メートルを超える規模で、城の三方を廻っています。

 是非、外回りの雄大さを確認して頂きたいと思います。

GEDC2037.jpg
 西側の堀です。写真右側に小川が流れ、その部分はより深くなっています。

GEDC2035.jpg
 搦め手付近の土塁です。

 「菅谷城第2話 ~ 水掘現存」へ続く

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「埼玉の城」
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Comment
Re: これって
リュウ様 御来訪ありがとうございます。

 この城は、室町期であるとの推定が現在有力です。

 でも、縄張り重視派の皆さんは北条の城と主張し続けていますね・・・

 論争が論争を呼び、盛り上がってくれると嬉しいです。
これって
明らかに鎌倉期前後じゃないですよね〜。土塁の折りにしろ、張り出しDには櫓立てますかね?
こっからどこまで弓鉄砲が届きますかね⁈
武田なら3廓前に丸馬出しでしょうか。埼玉ちょい奥にはまだまだありますねっ。
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