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堀之内城山(1) ~ 徳川家康侵攻

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

a犬居アク

 平成24年3月28日、堀之内城山に行って参りました。静岡県浜松市天竜区春野町堀之内にあります。

 私は「堀之内城山」の存在を知らずに、この旅に出ました。
 それが、ふとした偶然で訪問することが出来ました。
 城攻めの昼食は、おそば屋さんに入ることが多いのですが、この日通りかかった定食屋さんを見て、私は「絶対この店に入らなければならない!」と感じました。

 そして、その定食屋で「近くに堀之内城山があり、最近整備された」との情報を得ることが出来ました。第六感ってあるものなんですね~。

 これが無名のわりには、なかなかの見応えでした。
 発掘調査の結果、天正の頃の使用を示唆する出土物があり、徳川家康が犬居城を攻めた際に構築されたのではと考えられています。

 GEDC1733.jpg
 写真は、家康が本陣を置いたとされる場所から見上げた 「犬居城」 です。

r堀之1
 私は瑞雲院さんに車を停めさせて頂き、登りました。

GEDC1734.jpg
 この様な看板がここかしこにありますので迷う心配はありません。

GEDC1737.jpg
 尾根上へ出る箇所は、枡形っぽくなっています。

GEDC1740.jpg
 尾根筋には林道が・・・ なんだ車で来れたのだ・・・

 この分岐を右に曲がります。

r堀之2
 さて、この地を治める犬居城主天野氏は武田信玄に従っていました。1572年12月、武田信玄は三方ヶ原の戦いで徳川軍を撃破するも、体調を崩し、甲斐へ撤退します。その隙に乗じ1573年3月、徳川家康は犬居城南東の天方城を攻め、これを制圧します。

 勢いに乗った家康は犬居城を制圧しようと、同年4月、上の図の街道を通って、天野領へ侵入し、山を下って、犬居城対岸に布陣します。

 堀之内城山は、若身城山が邪魔になって、犬居城を見渡すことが出来ません。見渡せるのは南方向だけです。それなのに何故この場所に築城をする必要があったのか?

 この時点で、南の光明城も、その南の只来城も、二俣城も武田が保持していました。

 光明城から援兵が来て、尾根筋の街道を制圧されたら、徳川軍は敵地の低地に孤立してしまいます。

 堀之城山は退却路を確保するための築城であったと推察します。

GEDC1742.jpg
 見えてきました。

 堀之内城山(2) ~ 天野氏のゲリラ戦へ続く・・・

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