FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  掛川城(2) ~ 山内一豊出世城

掛川城(2) ~ 山内一豊出世城

 掛川城の最終回です。

GEDC1650.jpg
 本丸の門は石垣で固まられています。

*さて、徳川家康はその後、豊臣秀吉に屈服し、関東へ移されます。

 家康に代わって、掛川城へ入ったのが豊臣秀吉配下の山内一豊でした。

GEDC1653.jpg
 本丸はこんな感じで、公園になっています。

*山内一豊は、掛川城を5万石の大名にふさわしい体裁とするために石垣を積み、総構えを設けました。

GEDC1651.jpg
 本丸から天守を見上げました。

*やがて、豊臣秀吉が没し、徳川家康は天下簒奪に乗り出します。

 一度完成した豊臣体制を覆すには、動乱が必要です。

 家康は5大老の家柄の前田家にイチャモンをつけ、動乱に持ち込もうとしますが、前田家は大人の対応で屈服・・・ これでは体制変更が出来ない・・・

GEDC1658.jpg
 天守手前からニノ郭を見おろすと、江戸時代の御殿があります。

 土の城派としては、興味は無いのですが、いきがかり上、御殿も探索してみました。

*動乱を望む徳川家康は、五大老の一人上杉景勝に因縁をつけます。

 都から離れた雪深い越後で育った純真な上杉景勝は、その挑発に乗ってしまうのでした。

 GEDC1643.jpg
 天守閣内には、掛川城総構えの古図面が展示されています。

 右上に掛川古城とその北東の池が記されていますね。

*徳川家康は、諸将を率いて上杉攻めの兵を催します。

 栃木県小山市まで兵を進めたところで、上杉景勝と結んだ石田三成が挙兵したとの報が入ります。

 家康は、従軍の武将たちに「家康につくのか、三成につくのか」を問いただします。

 その時、山内一豊は真っ先に、家康への忠誠を誓い、掛川城を差し出す宣言をしたのでした。

 一豊の宣言を聞いた諸将は雪崩を打って家康への心中を誓い、家康は関ヶ原の勝利へと突き進むのでした。

GEDC1652.jpg
*山内一豊は、掛川城を提供する一言で、家康の歓心を射止め、土佐20万石の第大名へと出世するのでした。

 天守閣の近景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」
スポンサーサイト



Comment
さしたる活躍もなき山内一豊
毎回の記事、興味深く拝見しております。

さて、山内一豊については評判が芳しくないようで、貴殿が仰せの通り、家康に対するパフォーマンスで一躍出世を果たし関ヶ原では「さしたる戦働きもなく・・」と他の東国諸大名より見下されていたと聞き及びます。
まあ、それはそれとして幕末では土佐藩が維新へ貢献したわけですから、一豊の汚名を少しは挽回したと解釈しております(笑)
彼がこの城に籠り徳川家康に抵抗していたら秀吉も溜飲を下げたと思われますが、親の心子知らずとはこの事ですね。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード