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掛川城(1) ~ 今川氏真籠城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

掛川アク

 平成24年3月18日、お城仲間のMさんと掛川城に行って参りました。静岡県掛川市にあります。言わずと知れた観光名所でほとんどの地図に載っています。

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 私は土の城派であり、石垣や白亜の天守は私の範疇ではありません。しかし、目の前の掛川古城は踏査したのに、掛川新城は無視するというのは、大人げないと判断し、観光しました。

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 復元、移築された大手門です。

*さて、掛川新城がまだ土の城だったころ、今川氏真が籠る掛川城を徳川家康が攻めています。

 かつての主君に刃を向けるとは、戦国の世とはいえ、家康も非情ですね。

GEDC1666.jpg
 大手門近くから撮影した掛川城の天守です。

*家康が掛川城を包囲したのが、1568年の12月です。翌1569年の4月には、信玄が家康へ書状を送り、「早く掛川城を落としなさい」と催促しています。

 掛川城が堅城だったのか。家康が氏真に遠慮したのか。定かではありません。

GEDC1665.jpg
 水掘が復元されています。

*同年5月には、家康と氏真の間に和議が成立、城を明け渡す代わりに、命を保証する条件でした。氏真は妻の実家北条家へ、海路で落ち伸び、今川家は没落しました。

GEDC1649.jpg
 その頃の掛川城はこれくらいの規模であったと推察します。

*その後、徳川と武田は対立し、徳川は守勢に立たされます。

 掛川城の西の諸城が武田の手に落ちても、掛川城の南の高天神城が武田の手に落ちても、掛川城は武田の手に落ちませんでした。

 やはり堅城であったのでしょう。

GEDC1644.jpg
 入場料を払い、三日月堀の脇の門へと登っていきます。

*お城仲間のМさんがおっしゃるには「三日月堀は武田の専売特許だと誤解されている。しかし、武田の馬場美濃守へ三日月堀を伝授したのは山本勘介である。勘介は今川家のもとで浪人をしていた。今川家の勢力圏では三日月堀が使用されたいたからこそ、勘介はそれを学び、武田へ伝授出来た。今川の城や一時今川の配下にあった徳川の城に三日月堀があっても当然のことである。」と・・ 確かに納得です。

GEDC1664.jpg
 三日月堀の写真です。

 山内一豊出世城へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」


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Comment
Re: ご無沙汰です
Мさん。御来訪ありがとうございます。

 過日は有難うございました。

 陽っぱらいすぎてしまい、記憶が飛んでいる部分も
多々あるのですが、物凄く楽しかったという感覚が、
心地よい思い出として残っています。

 さて、写真に関してはおっしゃる通りですね。

 森林写真館、茶畑写真館、ヤブ写真館のようなもの
ですよね、私のブログは・・・

 そんなブログを毎日ご覧下さる方々がいららして下
さるのですから、皆さまは神様としか思えません。

 さて、当方、突発的に多忙になり、シバラクはお誘
いできないのが悔しい限りです。

 すこし、落ち着いたらメールをいたしますので、また
よろしくお願いいたします。

> 三日月堀の件はまったくの妄想でして・・・・(汗)
>
> しかし、水堀や建物があると写真が映えますな。
> 写真に関して土の城派は悲しいものがありますね。
ご無沙汰です
三日月堀の件はまったくの妄想でして・・・・(汗)

しかし、水堀や建物があると写真が映えますな。
写真に関して土の城派は悲しいものがありますね。
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みなさん、こんにちは。中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。平成24年3月18日、お城仲間のMさん所でほとんどの地図に載っています。私は土の城派であり、石垣や白亜の天守は私の範疇ではありません。しかし、目の前の掛川古城は踏査したのに、掛川新城は無視すると...
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