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遠江小山城(1) ~ 背水の城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年3月18日、お城仲間のMさんと「高天神城補給路実感ツアー」で、田中城、小山城、龍目山城、滝堺城、相良城に行って参りました。

小山アク

 ツアーの2城目は小山城です。静岡県榛原郡吉田町片岡にあります。小山城趾公園、能満寺公園としてほとんどの地図に表示されています。

GEDC1531.jpg
 広大な駐車場にトイレやお土産物屋さんまで完備しています。

 写真は駐車場から小山城へ向かって歩き始めたところです。

 時代考証に反した、模擬天守が目印です。

 順路に沿って進むといきなり、本郭に入っていしまいますが、本レポートでは城を攻める段階を追うために、大手から話を進めていきます。

r001_20120331084412.jpg
 大手から見たイメージ図を作成しました。

 今は大井川の流路が変更され、大井川は小山城から離れていますが、往時は大井川が城の裾を洗う、「背水の城」であったそうです。

 城の正面には、巨大な三重の「三日月堀」が配置され、攻城兵は「あ」か「い」の狭い道を進むよりほかはありません。

GEDC1532.jpg
 大手門が復元されています。

*小山城は元々は、今川氏の城でした。

 1568年12月、武田信玄が駿河に侵攻します。

GEDC1534.jpg
 北側から見た写真です。一番左が三ノ郭の塁壁、その右が一番内側の三日月堀、その右が真ん中の三日月堀です。

*同年中に信玄は駿府城を奪取します。今川氏真は駿河の所領を捨て、遠江の掛川城へ逃げ落ちます。

GEDC1535.jpg
 北側から見た、一番外側の三日月堀です。

 攻城兵が、この堀へ飛び込んで、城を攻めようとしても遮蔽土塁に行く手を阻まれ、三ノ郭からの狙撃にサラサレ、屍の山を築くこととなります。

*翌1569年1月、北条氏政は今川氏真支援の為、駿河の蒲原、由比に出陣、薩堆峠まで陣を進めます。

 信玄は、興津川を挟んで横山城に陣を張り、これに対抗・・・

 退陣の最中の2月、信玄は小山城を奪取します。(大井川以西は徳川領との盟約を破る行為でした)

GEDC1537.jpg
 南側から見た真ん中の三日月堀です。この角度だと、堀が半円形に湾曲しているのが良くわかりますね。

*同年、4月信玄は一旦甲斐へ引き上げ、北条をけん制するために関東へ出陣し、10月には三増峠の戦いで北条軍を撃破します。

 その後、小山城は徳川家康の支配下に入っています。信玄が対北条に集中する為に、徳川へ譲歩したのでしょうか?

GEDC1542.jpg
 三重堀の表示があります。

 落城時にからんだ伝説が記されていますが、最終的に武田が普請した小山城は周囲から孤立して自落したので、婦女子も安全に退去しました。堀に身を投げる必要は無かったはずなのですが・・・

 馬場美濃守縄張りへ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」

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Comment
いよいよ
もうじき注目の滝界城、相良城ですね
楽しみにお待ちしておりますw
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