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椿城(2) ~ 大井信達反逆!

 椿城の最終話です。

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 椿城本丸跡の矢印の先には、お墓がならんでいるだけで、それらしい遺構はありませんでした。

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 北側から見た椿城です。右側です。背後が断崖であったので、本丸のあたりが一番守りやすい場所であったことは確かです。

*1515年、大井信達は、甲斐守護武田信虎へ反旗を翻します。

 同年10月、武田信虎は精鋭を引き連れ、大井信達の富田城を攻撃します。

 富田城は、椿城の北方7キロ、御勅使工業団地のあたりにあったようですが、現在は工業団地建設により、跡かたもないとのことです。

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 イメージ図を作成しました。グーグル地形図と、グーグル航空写真を参考にしています。

 実に中途半端な位置です。物見?の場所の方が標高が高い上、見晴らしも良いのです。椿城の見晴らしは良くないのです。

*富田城は深田に囲まれた城でありましたが、若い信虎は我攻めを命じてしまいます。

 武田勢が深田に足をとられているところを、大井勢が急襲し、武田勢は多大な損害を出して撤退します。

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 イメージ図に書き込んだ、謎の堀です。断崖脇に断崖と並行して、堀があります。防御の役には立ちません。上流の沢から水を引いてくる、水道施設である可能性を感じました。

*武田勢を撃退した大井信達は、「これはうまくいくと、ワシが甲斐守護になれるかもしれない」と、大勝負に出ます。

 駿河の今川勢を甲斐へ呼び込んだのです。

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 椿城跡から、物見方向を撮影しました。

 物見の方が高く、椿城からは見晴らしがきかないのが見て取れます。

*数千の今川勢は、甲斐を蹂躙し、甲斐国内で越年しました。

 しかし、武田信虎の抵抗は激しく、一向に決着はつきません、敵地での長期滞在を不利と感じた今川勢は、大井信達を見捨てて帰国してしまいました。

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 物見の最高所には、石垣が散見されますが往時ものかはわかりません。

*今川氏に見捨てられ、甲斐国内に孤立した大井信達は、武田信虎へ屈服するより、生きのびるみちはありませんでした。

 服従の証として、大井信達は娘を武田信虎へ差し出し、武田信虎は娘を正妻として迎えたのでした。

 信虎25才の時のことでした。

 以上が、信玄のお父さんとお母さんの馴れ初めです。

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 物見からは、甲府盆地を見渡せます。物見の方が城地として適していると思うのですが、水が出なかったとか、普請量が膨大になることが予想されたとか、何らかの理由で、物見どまりだったのでしょう。

*1519年、武田信虎は居館を石沢から現在の、躑躅ヶ崎へ移し、国衆へ躑躅ヶ崎への移住を命じます。

 各地に城を構え、独立領主としての気概を持っていた国衆は、これに反発。

 翌1520年、大井信達と今井、栗原などが反乱の兵をあげますが、あっという間に屈服させられてしまいます。

 5年前とは異なり、甲斐守護武田信虎の統制は、甲斐国中に行きわたりつつあったのでした。

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 物見から見下ろした、椿城の全景です。

 赤い屋根が本重寺で、その左側が低くなっています。右側の林が断崖のラインです。

*二度の反逆に失敗した大井信達は、娘婿より隠居を命じられ、この地で静かに余生を送ったとのことです。

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