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椿城(1) ~ 信玄の母の実家

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年2月18日には、椿城に行って参りました。

椿アク

 山梨県南アルプス市上野にあります。だので上野城とも呼ばれています。

057_20120304120809.jpg
 市立櫛形西小学校に隣接する、「櫛形西小学校東」交差点から市道を南に進み、橋を渡ってすぐ左折すると、百数十メートル先に表示が現れます。

 史跡っぽくないカラフルな表示と、割れてしまった古い表示の対比が、心を揺さぶります。

 表示の脇には駐車場があります。

056_20120304121058.jpg
 椿城は、甲斐西部に威を張った大井氏の居城です。

 駐車場の脇には大井一族の墓があります。

 ひときわ大きいのが「大井信達の墓」です。

*大井信達の娘が、甲斐守護武田信虎の正妻であり、二人の間に生まれた長男が武田信玄でありました。

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 「大井信達の墓」の南には本重寺があります。本重寺は、椿城の城域に入っていたと考えられています。

*信玄のお父さんと、大井信達の娘が、結ばれるまでの馴れ初めを・・・

 1505年、武田信虎は、弱冠15歳にして、武田家16代目の棟梁となり、甲斐守護を継承しました。

060_20120304125401.jpg
 本重寺の境内には、椿城の石碑があります。

*当時の甲斐は国としての組織が確立されておらず、有力豪族が好き勝手に行動していました。

 信虎の父の弟や、郡内の小山田氏は、翌年、信虎へ反旗を翻します。

061_20120304125818.jpg
 解説版です。

 武田家10代当主の弟が分家を起こし、大井氏を名乗ったようです。

 大井信達の法名が「本習院」であったことから、「本重寺」となったとも記されています。

*武田信虎は、父の弟を攻め殺し、小山田氏を屈服させます。

 武田信虎は、甲斐に中央集権体制を築かなくては、内乱は止まないと考え、豪族への統制の強化に乗り出します。

 この統制の強化に反発したのが、大井信達でした。

063_20120304130646.jpg
 本重寺を出て、北西方向を徘徊すると、「椿城本丸跡」の表示がありました。行ってみましょう!

 大井信達の反逆へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「山梨の城」 
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Comment
本名ではありません
本名ではありません

母の名字です。ご心配なく・・・。
お願いですが
武蔵様お願いがあるのですが
ネットの世界は魑魅魍魎がばっこしている
世界でもあるので
室賀様の名前が本名のようですので
削除されてはいかがでしょうか。
老婆心ながら、
ご検討していただければ幸いです。
助け舟、有難うございます。
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 浅学の私に代わって情報提供をしてくださり有難うございます。

 正に助け舟ですね。

 今後とも御高配を賜りますようお願い申し上げます。
ありがとうございます
色々なアドバイスありがとうございます!

これからもこのブログを見させて頂きます。

室賀について何か最新情報ありましたら、よろしくお願い致します。
室賀氏について
こちらのお寺の住職様を
お尋ねになってはいかがでしょうか。
色々なお話が聞けるかと思います。
http://shinshu.fm/MHz/22.56/archives/0000378591.html
室賀氏について
詳しくなくて申し訳ないのですが、
小県郡史や長野県史といった
地方史の本からおっていくのが
一番よいかと思われます。
(長野県内の図書館ならどこでも
蔵書しているはずです)
もしくは、信濃史学会に問い合わせしてみると
詳しい情報が得られるかもしれません。
お力になれなくて申し訳ありません。
申し訳ありません。
室賀さん。御来訪ありがとうございます。

 そして、申し訳ありません。

 私は、土の城縄張りオタクです。

 防御構造がこだわりの中心です。

 ブログアップの為に、お城に関連した人物等を調べることはありますが、
片手間です。

 故に室賀さんのことはホトンド存じ上げません。

 お詫び申し上げます。

 ルーツに関することは探りたくなりますよね。

 私も女房の駒ヶ嶺家については、何年も調べました。

 お気持ち良くわかります。

 これをご覧になった詳しい方。コメントをお願いします。
はじめまして!
はじめまして!管理人様そして歴史好きの皆様。

長野市川中島生まれの室賀 隆幸43歳と申します。私も戦国時代が大好きで大学時代は歴史研究会で武田信玄公の研究をしていました。

母方の実家は松代城(海津城)近くの松代町内で父方は
川中島です。
隆幸は本当の名前で尊敬する真田幸隆の逆というのは偶然です。私の本名は父方の○○ですが、先祖が戦国武将で有名な室賀信俊本人か親族?なので、ここでは使わせて頂きます。母の本名が室賀です。

室賀信俊は村上義清の家臣で、上田原合戦では村上方でした←これは合っていますか?

砥石合戦後の信玄公の乱入により、武田に従う←合っていますか?

母の父によれば戦国時代は室賀峠にいたが、真田信之の松代移転に従い、松代に移転。現在室賀峠に室賀姓はないそうです。今はもう、母と母の父は故人です。

室賀信俊は臆病で「無理な合戦はするなと言い、三方ヶ原のみこれは勝てると信玄公に発言した」という内容を新田次郎の武田信玄で読みました。

しかし、結果論として失敗した城代として在城した長篠城が家康方に焼かれ、退去した←これは合っていますか?

室賀信俊は秀吉天下取り時代に、真田昌幸に呼び出され「暗殺された」←これは有力な説ですか?

ただ、室賀信俊の息子が真田信之に従っていたので、
関が原後も戦国期や江戸時代も残った←これ合っていますか?

先祖が「第4回川中島合戦から三増合戦、三方ヶ原合戦、長篠合戦に参加したかも知れないのは信玄公を尊敬するものとしては凄いと思っています。上田原合戦ではすみませんというところでしょうか?」

しかし、上田原合戦から秀吉の天下時代で昌幸に暗殺まで同一人物の信俊でしょうか?

長い文章になりそうでしたらメールでも結構です。

今、室賀家の歴史を調べて本にして、親戚に配ろうと思っています。

以上よろしくお願いいたします!室賀隆幸

Re: 信玄を捜す旅になりそうですね
らんまる様、御来訪ありがとうございます。

 中央高速の渋滞がムゴク、ついさっきの帰宅となりました。
 充実した遠江遠征でした。
 今回は、家康が天野氏を攻め、敗走したルートを忠実にトレ
ースした旅でした。
 現在は川沿いに国道がありますが、戦国時代は尾根筋に街道
があるケースが多かったようです。現在も尾根筋に畑や集落が
残っており、今は寒村ですが、戦後の頃には、宿場町として、
旅館があったと、御高齢の方からお話を伺いました。

 さて・・
> blogramでで信玄公の記事で第二位おめでとうございます。
> ぜひ首位を奪取して下さい(笑)
 嬉しきお知らせをお伝え頂き、有難うございます。

 しかし・・・

 私はそのblogram自体の存在を知らないのでございます。

 アクセス数やランキングで一喜一憂するのは性が合わない
ので、存在を知りたいとは思わないのですが、どの記事が・
対象になったかだけ知りたい・・・
(我儘で複雑でめんどくさいヤツ)

 以上、お礼と独り言でした。
信玄を捜す旅になりそうですね
お邪魔いたします。

blogramでで信玄公の記事で第二位おめでとうございます。
ぜひ首位を奪取して下さい(笑)
小生も諸国漫遊の旅に憧れますが、足元を固め過ぎて右往左往しておりまする。過去記事の反乱軍の鎮圧に多忙を極め、良き山城シーズンも終了間際となり焦っております(汗)
藪と棘とクモの巣と蜂と訳の分らん虫どもとの戦いのシーズンはすぐそこです。
ネタさえあれば、初夏~秋までは引き籠り出来るのですが、既に在庫切れ状態でございます(笑)

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