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蒲原城(7) ~ 徳川家康奪取

 蒲原城の最終回です。

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 三ノ郭上の段です。

*武田信玄は、蒲原城周辺の旧今川家在地武将を、山県昌景のもと「蒲原衆」として組織させたとのことです。

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*しかし、武田信玄は1573にこの世を去ってしまいます。

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 三ノ郭上の段から見上げた「え」の郭の塁壁です。

*蒲原衆を率いていた山県昌景も1575年、長篠の戦いで討ち死にしてしまいます。

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 「う」の郭です。

*1581年、3月22日、武田方の高天神城が落城。救援に赴かなかった武田勝頼は天下の面目を失ってしまいます。

 籠城しても、助けは来ない。見捨てられると悟った武田の守備兵は、徳川の攻撃の前に次々と城を捨てて逃亡し、武田の東海戦線は崩壊してしまいます。

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 「え」の郭です。

*1582年2月1日、織田・徳川連合による武田討伐が開始され、2月29日には、武田親族衆で静岡県清水市江尻城主の穴山梅雪が、織田側へ寝返りました。

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 「い」の郭です。

*3月には徳川勢が蒲原城へ押し寄せ、落城したとされていますが、捨てられた蒲原城を徳川勢が接収したというのが本当のところではないでしょうか。

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 善福寺郭からの、蒲原宿、駿河湾、伊豆半島の眺めでお別れです。

 本城域だけではなく、三ノ郭も訪問されることをお勧めします。

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」 
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Comment
陽動作戦!
さくらえび様 ご来訪ありがとうございます。

 考察部分にコメントを頂き、うれしい限りです。

 このお城は、遺構も、戦歴も、景色も・・・

 三拍子そろった城で、何度も訪問したくなります。
地元の城であり幼少の頃は遠足で行ってまさした。当時では気づけない点が分かりやすく解説してあり為になりました。
陽動からの勝頼が善福寺郭側から攻めた云々の下りは特に為になり、亡くなった祖父が城が落ちたのは善福寺の住民が裏切ったからだ!という迷信めいた事を言ってたのは上記の事が段々と変形して伝わったのだと考察できました。ありがとうございますm(__)m
どしどしお寄せ下さい。
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 私は、定説以外の発想が大好きです。

 本職の障害者支援でも、どんどん、新しい支援方法が編み出され、効果を挙げています。

 歴史や城郭研究においても、近年、新説が次々と公開され、定説が塗り替えられています。

 私は歴史学会への影響力がゼロですが、新説を楽しみたい気持ちは100%です。

 私は時代遅れのおじさんですので、ブログのコメント管理の設定変更方法がわかりません。

 どうぞ、御遠慮なさらずに、メールでご連絡ください。

 楽しみにさせて頂いております。


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