FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  蒲原城(6) ~ 北条三郎討ち死に

蒲原城(6) ~ 北条三郎討ち死に

 蒲原城の第6話です。

GEDC1435.jpg
 イメージ図、「お」の郭です。

*6日の内に、三ノ郭西方で戦端が開かれ、城兵の意識は三ノ郭へ集中します。そして、本城域は手薄に・・・

 信玄はこの瞬間を待っていたのです。

r002_20120303115115.jpg
*信玄は、搦め手背後の山中に伏兵を配置していたのでした。
(搦め手は第一話で紹介してあります。この図ですと本郭の裏側で、本郭との比高差がさほどありません。)

 信玄は、手薄になっていた本城域へ、息子勝頼率いる伏兵を乱入させました。

GEDC1437.jpg
 「お」の郭から、ニノ郭下の段への道の途中にはこの様な狭い腰郭と、鋭い切岸が無数にあります。

*伏兵は、やすやすと城内へ侵入しました。

 守兵は千、攻城兵は万を越していたと思われます。

GEDC1438.jpg
 ニノ郭下の段は大藪でした。

*多勢に無勢で蒲原城は落城。城主の北条新三郎はじめ城兵全員が討ち死にしたとのことです。

 GEDC1439.jpg
 三ノ郭上の段から大手表示の方向を撮影しました。

*三ノ郭までを含めると3千人はいないと守りにくい蒲原城。なのに、実際の守兵は千人。しかし、守兵が最初から三ノ郭を放棄して、本城域へ密集して籠れば、難攻不落となってしまう。

GEDC1440.jpg
*陽動作戦で、本城域を手薄にさせた上で、急襲する。僅か1日で落城させ、被害は少ない。

 武田信玄はやはり、戦国の名将と言えるでしょう。

 徳川家康奪取へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」 
スポンサーサイト



Comment
Re: 幻庵さん
Мさん 御来訪ありがとうございます。

 蒲原城の落城の早さは、城兵の逃亡もありましたか。
 誰も、勝ち目の無いイクサデ無駄死にはしたくない
ものです。

 幻庵さん。
 幻庵の名乗りは、人生は幻の如くと悟られたのでしょ
うか?
 北条滅亡を待たずにこの世を去られたのが、せめても
の救いというべきでしょうか・・・
信玄は本当に偉大です
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 信玄は本当に偉大ですよね。正に風林火山!

 橋頭保の構築と並行した降誘作戦

 陽動作戦の後の急襲

 わざと隙を見せて、敵を引き込んだり

 多彩な戦略には驚嘆するばかりです。
幻庵さん
ご無沙汰です。
イメージ図で良く理解できました。

北条方は武田の大軍に囲まれ兵士がずいぶん
欠落したようですね。恐らく守備兵は地元か
ら動員されたのでしょう。彼らにとって北条
は進駐軍ですからね。
残された北条方は絶望的な戦をしたのでしょ
うね。また、将来を嘱望されていた子息2人
を失った幻庵さんはその後どのように生きて
行ったのかな・・・と考えてしまいます。

非常な時代ですね。

陽動作戦ですね
百戦錬磨の晴信にとっては北条など赤子の手を捻るぐらいの軽さだったのでしょうか。
乱波を放ち縄張の仔細など調べるのはお手の物だったと推察します。
搦め手の防御こそ肝要であったのに統制のとれない城将の元では無駄死にの屍を積み上げた事でしょう。信濃で苦汁を舐めた信玄公ならではの戦ぶりですね。
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード