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蒲原城(2) ~ 駿河動乱

 蒲原城の第2話です。

GEDC1401.jpg
 イメージ図「う」の張り出し土塁です。

r003.jpg
*今川氏真が、「上杉謙信と結び、武田を挟撃しようとした」ことを口実に、1568年、武田信玄は駿河へ侵攻し、12月12日、薩堆峠にて、今川軍を撃破。翌日の13日には、首都たる駿府城を落城させます。

 駿河動乱の幕開けです。

GEDC1402.jpg
 土塁は北側へ続いています。

*相模の北条氏康は、今川、北条、武田による「三国同盟」の約束を武田信玄が破ったことに激怒し、翌年の1569年1月18日、4万5千の大軍をもって、駿河に赴き、蒲原、由比、薩堆峠を制圧し、興津川を挟んで武田軍と対峙します。蒲原城は北条の城となりました。

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 腰郭と土塁は続いています。

*駿河は平和な時代が続いたため、駿河今川系の山城を見ると、遺構が曖昧なものが多く・・・ 当時の蒲原城もそんな感じだったことと思われます。

 数百年に及ぶ戦闘の連続で鍛えられた関東の築城法を活用する北条氏にとって、当時の蒲原城は赤子の戯れのようにしか見えなかったと推察されます。

 こんな城構えで武田に攻めよせられたら、ひとたまりもない・・・

GEDC1405.jpg
 イメージ図「え」の張り出しです。

*現在残る遺構は、北条氏の改修によるものがほとんどは無いかと思われます。

GEDC1406.jpg
 腰郭は、善福寺郭を取り巻くように西側(イメージ図裏側)へと続いています。

*同年、4月24日、武田信玄は一旦甲斐へ戻りますが、6月23日には、駿河大宮城を落城させ、現在の富士宮市周辺を制圧してしまいます。

 武田信玄の魔手が、蒲原城へ近づいてきました・・・

 見殺しの郭へと続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」 > 「静岡の城」 
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