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小島陣屋(1) ~ 小藩の見せ石垣

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年2月11日、お城仲間のMさんと、小島陣屋に行って参りました。

横山アク

 静岡県静岡市清水区小島町にあります。

GEDC1322.jpg
 東海道本線興津駅から国道1号線を東へ500メートルほど進み、興津中町交差点を左折。国道52号を3キロ程北上し、小島南交差点を左折して道なりに進むとすぐにこの看板が現れます。看板の前に路上駐車させて頂きました。

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 イメージ図を作成しました。細かいところには自信がないので雰囲気だけ感じ取って下さい。

 先ほどの看板は「茶」の裏側にあります。

GEDC1324.jpg
 搦め手側の石垣です。

*小島陣屋は、瀧脇松平家1万石の陣屋であったとのことです。

GEDC1325.jpg
 搦め手から城内に入りました。

*1万石では城を築くことが許されなかったので、陣屋となったそうです。

GEDC1326.jpg
 茶畑の向こう側に石垣が見えます。

*瀧脇松平家は、徳川家康以前の、三河松平家の分家であるということです。

GEDC1327.jpg
 イメージ図「芝生」のあたりです。

*江戸時代に想定された戦争は、「西国から外様大名が大軍を率いて、江戸へ侵攻する」という想定です。

 1万石の大名に求められた軍役は235人であったとのことです。

 235人で小さな陣屋に籠っても、外様の大軍の前には何の意味もありません。

GEDC1328.jpg
 おしゃれなベンチがあり、一服させて頂きました。

*実際、小島藩では102名しか家臣を雇わず、残りの133名は農民を定期的に登城させ、数合わせをしていたとのことです。

GEDC1332_20120225080323.jpg
 イメージ図「あ」の段の石垣です。

*小島陣屋は防御施設ではなく、政庁としての役割が主であったようです。

 石垣は、防御用に積んだのではなく、住民や、街道を通る人たちへ「見せるための石垣」であったと思われます。

 体裁のミニ枡形へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
 > 「静岡の城」
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Comment
宮坂先生が降臨しつつありますね・・
らんまるさま 御来訪ありがとうございます。

 らんまる攻城戦記、雪の山城バージョン楽しく拝見させて頂いております。

 私もやんちゃな頃は少々・・・トライしておりました。

 土の城への衝動~新潟県~浦佐城をご覧いただけると・・・

 今は、加齢を自覚し、温暖の地へと・・・

 でも、らんまるさんのやんちゃさがうらやましいのであります。

 らん丸さんおかれましては、やんちゃの神となり、勇気の薄れた
私に元気を送って下さりたく、願っております。

小藩の意地ですねぇー
松平家も分家だの亜流だの支流だの同じ身内でも過酷な身分制度でしたよね(笑)
「然らば陣屋くらい戦国の習いとしての防御を!」という誇りと意地があったのでしょう。
だからこそ地元の方も大切にして語り継いで来たのだと思われます。

しかし、峠を越えたら別世界ですねぇ~(汗)
雪中行軍を強行している小生は四季を間違えているのでしょうか…(爆)
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