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岡見城 ~ 二つの方形館

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成24年1月14日、お城仲間のМさんと岡見城に行って参りました。

岡見アク

 茨城県牛久市岡見町にあります。

GEDC1123.jpg
 昭文社の地図に記載されているのだからすぐに見つかるだろうと、国道408号から適当に進んでいくと、道は無くなり、竹林へと下っていくこととなりました。

GEDC1124.jpg
 竹林の先には、高さ8メートルはあろうかとおもわれる土塁状の地形が現れました。

 土塁かもしれぬとあれば、登るのが城好きの定め!

GEDC1125.jpg
 土塁の上に立ちました。守るべき郭がありません。

 土塁の先には低地が広がっています。写真の低地と、竹林の低地を区切るだけの存在でした。

 しかし、私には人の手による構築物の様に思えてなりませんでした。

 帰宅してからグーグル航空写真を眺めていると、ある妄想が浮かんできました・・・

 太閤検地のさい、常陸の国の石高は53万石、ほぼ面積の変わらない武蔵の国が67万石であった。面積が変わらないのに石高が14万石も低いのは何故か? 常陸は湖沼地帯であったからだ。いまは低地でも往時は湖沼であった可能性が高い。つまり、岡見氏の領土は湖沼地帯に浮かぶ島の様な状態であったという妄想です。

003_20120129114508.jpg
 その妄想をイメージ図にしてみました。

 2枚目の写真の土塁が「あ」で、3枚目の写真の低地が「い」です。

 人の行き来も、物資の往来も湖に浮かべる舟が主役であった。敵兵が攻め込んでくるのも、舟による場合が多かった。

 舟による適襲から味方の舟を守るために「囲われた舟溜り」が必要であった。

 「あ」の土塁は、重要な舟溜りを守る為のものであった。

 一見中途半端な位置と感じる西舘も、重要な舟溜りと連動していると考えれば、舟溜りへの水路を本殿と挟み込む形で防御していると考えれば、必然性が生じてきます。

 以上、歴史素人の妄想でした。

 妄想嫌いの方は、私が湖として描いた部分を畑地として見て頂ければ幸いです。

GEDC1127.jpg
 現実に戻ります。本殿の手前には堀が2本配置されています。

GEDC1130_20120129120017.jpg
 本殿です。四方を土塁に囲まれています。

GEDC1133.jpg
 本殿を下って西殿へ向かっています。

*申し遅れましたが、イメージ図の作成に当たっては、「図説茨木の城館」掲載図面を参考にさせていただきました。

GEDC1135.jpg
 西殿の手前には段差のある削平地があります。

GEDC1136.jpg
 小口でしょうか?

GEDC1138.jpg
 西殿に入りました。土塁が残存している部分を撮影しました。

GEDC1137.jpg
 残存していない方向はこのように・・・

 岡見氏は後に牛久城を築いて移っています。牛久城は牛久沼に接しています。岡見氏は代々海上交通を重視してきたため牛久沼に接して城を築いたのではないでしょうか。だとすれば、岡見城も湖沼に接していたのでは?

 ホームページ 「土の城への衝動」
 > 「茨木の城」
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Re: 丸馬出し
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 等高線つき詳細地図は欠かせないですよね?
 洪水危険マップは知りませんでいした。
 今後、参考にしたいと思います。
 いつも、情報を有難うございます。
丸馬出し
いつも楽しく拝見させていただいています。
往時の湿地や泥田を考察する際は等高線
が入った地図や、洪水危険マップなどを参考にすると
往時の湿地や沼がよみがえってきますので
ご参考にしていただければ幸いです。
ネットの地図でも他の地図には
等高線の表示があるかもしれませんので
それを参考にするのもありかなあと思います。
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