FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  上野萩生城(3) ~ 天正10年自落

上野萩生城(3) ~ 天正10年自落

 萩生城の最終話です。

GEDC0975.jpg
 本郭と南二郭を隔てる堀の底です。

*萩生城は、戦国時代、大戸氏の持ち城でした。

 大戸氏は、手子丸城、萩生城、三ノ倉城などを所有していました。

 関東管領上杉憲正の上野支配が続いている間は、その支配下にありました。

 やがて上杉憲正が越後へ逃れると、北条に従い、上杉謙信が関東に進出すると謙信に従ったと推察されます。

001_20120115100005.jpg
*次に、武田信玄の先兵として、真田幸隆が上野へ進出すると、大戸氏はいち早く、真田氏に従い、領地を安堵されます。真田氏も大戸氏も海野氏の流れを汲む者同士であったため、大戸氏も従いやすかったのでしょう。

GEDC0965.jpg
 本郭西側の堀です。

 土塁を崩して埋めた痕跡があり、崩す前の土塁をイメージ図に記載しています。

*天正10年武田家が滅び、織田信長が本能寺の変に倒れると、北条氏は上野制圧の野望に燃え、5千の兵で大戸氏を攻め立てます。

GEDC0978.jpg
 本郭です。

*大戸氏の当主、大戸真楽齊は三ノ倉城で、北条の大軍を迎え撃ちます。大戸氏の動員兵力は100程と推定されます。5千対百。大戸真楽齊は、三ノ倉城での防戦を諦め、本城である手子丸城へ籠もったと記録にあります。萩生城は三ノ倉城と手子丸城のあいだにあります。

 萩生城は、街道から本郭までの高低差がほとんど無く、堀も狭い為、萩生城で5千の北条勢を迎え撃つのは無理であると判断し、萩生城を捨てたのだと思われます。

GEDC0982.jpg
 最後に萩生城への到達方法をお伝えします。高崎市権田から、国道406号線を北上し、1キロ強でこの写真の交差点がありますので右折して下さい。

010_20120116142241.jpg
 上の交差点は「あ」の交差点です。

 程なく、「い」の交差点があります。周辺に車を停めましょう。

GEDC0981.jpg

 「い」の交差点の写真です。この道を徒歩で進むと1分程で、萩生城です。

 藪で見難いところもありますが、上野には珍しい「囲郭式縄張り」が残存していますし、下車1分のアクセスの良さと見晴らしの良さはお勧めです。

 ホームページ 「土の城への衝動」
  > 「群馬の城」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード