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尾附城(3) ~ 一城別郭か?

 尾附城の最終話です。

GEDC0864.jpg

 本郭に着きました。

 小さめの建物をひとつくらいは設置できますでしょうか?

GEDC0866.jpg

 二の郭です。

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 二の郭から見下ろした尾附集落です。

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 イメージ図でもおわかり頂けると思いますが、尾附集落と本郭にはあまり比高差がありません。

 敵が尾附集落に腰を据えて、攻め始めた場合、本郭は意外ともろく陥落してしまう可能性があります。

 その場合は「堀切1」を防衛ラインとして「う」「え」「お」の郭に籠もって抵抗することを考えていたのかも知れません。

 一方、敵が尾根筋を攻め上がり「う」「え」「お」を制圧した場合は、本郭に籠もって抵抗する・・・

 一城別郭の防御思想があったのかも知れません。

GEDC0873_20120112131730.jpg

 「堀切2」です。東側の防備が弱いのは尾附集落の東側がすぐ急坂となって落ち込んでいるからでしょうか?

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 二の郭の下の、腰郭?です。

GEDC0872.jpg

 安全な登り口は、尾附集落の中央に位置する「神流町消防団第8分段」のわきの道です。

 尾附集落内の道は大変狭いので、車は第1話で紹介したバス停の近くに停めましょう!

GEDC0905.jpg

 東の「神ヶ原城」から見下ろした、尾附城の遠景でお別れです。

<平成24年5月23日追記>
 「北武蔵・西上州の秘史」が押し入れの奥から出てきました。それによると・・・
 1566年、武田信玄は配下の「国峰城主小幡氏」へ神流川流域の制圧を命じた。
 小幡氏は配下の土屋等綱(現下仁田町馬山)へ命じ、尾附郷へ侵攻させた。
 尾附郷領主「高橋氏」は「館」を明け渡して、川を隔てた地へ移住したとのことです。

 居城や居館を焼かずに提供するのが当時の「降伏の作法」でした。
 高橋氏は「館」を明け渡したとのことです。「城」を明け渡したのではありません。

 このことから、尾附城はこの地へ侵攻した土屋等綱が築城したと推察できます。

 ホームページ 「土の城への衝動」
  > 「群馬の城」
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