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尾附城(2) ~ 鋭い堀切

 尾附城の第2話です。

GEDC0857.jpg

 「え」の郭には社があります。

003_20120112110157.jpg

 尾附集落自体が、東、南、西を神流川の断崖に囲まれ、北には山が迫っている要害地形です。

 それでも、略奪者に備え、村人が身を守る空間を別途用意しなければならなかったことに、戦国時代の過酷さを感じますね。

GEDC0858.jpg

 「う」から先は急激に下っています。

GEDC0859.jpg

 「堀切1」です。鋭く削り込んでいるのが見て取れます。

GEDC0861.jpg

 堀切は、竪堀となって、南北の斜面を下っています。写真は北側の竪堀です。

GEDC0863.jpg

 「い」の郭から、南側に下る竪堀を撮影しました。なかなかの工事量ですね。

GEDC0862.jpg

 「い」の郭から、「あ」の郭の塁壁を撮影しました。

 一城別郭か? へ続く・・・

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  > 「群馬の城」
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Comment
Re: 自衛も大変な時代でしたね
らんまる様 御来訪ありがとうございます。

 義の人と称される上杉謙信の軍でさえも、関東遠征時は住民を捕らえて、売っていたという記録が残っています。
 村人は村の城に籠り、村の代表者が侵攻軍へ出向き、「お金や食料を提供しますから、人身売買の対象にはしないでください。家を焼き払わないでください」と交渉に行ったようねすね。交渉が成立するとその証拠として高札が与えられ、高札のある村は生き残れたようです。もちろん相手にされない場合も多かったようですね。
 現代に生きる私たちは幸せですね。

自衛も大変な時代でしたね
この時代の侵略者は物品の掠奪だけでなく、人身売買目的で住人まで奪ったというから恐ろしいものです。野武士・盗賊より性質が悪い(笑)
村人の自衛の逃込み城としてはかなり防禦を施していますね。付近の友好的な土豪の援助もあったのでしょうか?
おそらく住民が交代で詰めていたのでしょう。
信州にもそういった類の逃込み城がたくさんありますが、時代と共に忘れ去られた城も多いのでは無いかと推察しております。
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