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上野愛宕山城 ~ 武田の橋頭保か?

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成23年11月某日には、山城のお師匠「武蔵富岡さん」のご案内で、愛宕山城に行って参りました。
 お城仲間のМさんと箕輪初心さんも一緒です。

坂本城アク

 群馬県安中市松井田町坂本にあります。
 坂本小学校の北西約600メートル、国道18号と県道56号の分岐の背後の山上です。
 別名「碓氷城」とも呼ばれているそうです。

GEDC0680.jpg

 先の分岐から、国道18号を碓氷峠方面に車で1分ほど進むと、右側に写真の表示が現れますので、車を停めさせていただきましょう。

 中部北陸自然歩道の表示に従って登っていきます。旧中山道ですね。

GEDC0681.jpg

 番所門跡の表示があり、石積みが残されています。同行頂いた箕輪初心さんのお話ですと、中山道は江戸時代に整備された道路で、戦国時代の街道は北側を通っていたということです。

011_20111225125104.jpg

 イメージ図を作成しました。ヤブでスケッチ出来ない部分が多かった為、日本城郭体系掲載図面から起こしました。

 城の守りの大半は東側に向けられており、西側の守りは薄いことから、西側、つまり、信濃の勢力が、上野に入り、東側、上野の在地勢力に備えた城であることが見て取れます。

GEDC0687.jpg

 二郭にはいりました。削平があいまいです。

*日本城郭体系によりますと・・・

 1547年、上野の上杉憲正は信濃の志賀城主笠原氏をそそのかし、武田信玄へ反旗を翻させ、更に別動隊を組織し、碓氷峠から信濃へ乱入させます。

GEDC0688.jpg

 二郭と本郭の間の堀です。

*武田軍は別動隊を「小田井原の戦い」で撃破し、志賀城を攻め落とすと、余勢をかって、上野へ乱入しました。

GEDC0689.jpg

 本郭は侵入不能の大藪です。地元の皆様、是非とも整備を・・・

*武田勢は坂本に部隊を駐留させ、地元松井田衆と競り合っています。このときに愛宕山城は築城されたと推察されます。

 翌年、上田原の戦いで敗れた武田勢は一時、上野から駐留部隊を撤退させたことと思われます。

GEDC0691.jpg

 左側が張り出し櫓台です。写真はいっぱい撮ったのですがどれもタダのヤブニシカ見えません。

*1561年から、武田信玄は上野侵攻を活発化させますので、その過程で、この愛宕山城に武田勢が入り、馬出しなどが加えられたことと思われます。

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  > 「群馬の城」
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