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松井田城(7) ~ 安中春綱自刃

 松井田城の最終回です。

 安中氏の代々の当主の名前は資料によって異なります、このレポートでは当主の名前も攻防の様子も、関東古戦録の記述をもとにいたします。

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 二郭と「う」の間に戻り、北へ下っていきます。左側が「え」の塁壁で、中央が横堀です。

*武田軍による松井田城攻撃が始まった。松井田城では神成監物以下の郎党が心を一つにして、射れども、突けどもひるまず、駆け出て防いだので武田軍の死者も増え、寄せ手は攻めあぐんだ。

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*当時の街道は城の北側にあったため、武田軍は北側から攻めよせ、「え」の塁壁や、枡形のあたりが乱戦の舞台になったと想像いたします。

GEDC0623.jpg

 ヤブで判りにくいのですが、奥が二郭で、手前左側が「え」の塁壁です。

*その後、武田軍は新手に入れ替えて力任せに攻め、二郭まで打ち破った。

GEDC0630.jpg

 枡形の表示があります。写真ではヤブニシカ見えませんが、確かに枡形が残っていましたので、イメージ図でご確認ください。

*その頃、子の安中広盛は安中城にいましたが、武田軍の攻勢を支えきれず、降伏しました。

GEDC0627.jpg

 枡形から南方向を見上げました。左が本郭で、中央が堀、右が櫓台から続く段郭です。

 枡形の下に水の手があるはずですが、ヤブが激しく、この方向からの到達は断念しました。

*松井田城では、城兵が次々と打ち取られ、弓は折れ、矢は無くなったので、父、安中春綱は潔く切腹の準備を始めました。

006_20111225095341.jpg

 一旦、本郭に戻り、本郭から大手道を引き返して行く途中、「え」の分岐から、図の裏側に、水の手への道が続いています。

*安中春綱が正に切腹しようとしたところに「子、広盛が安中城を開いて降伏した」との知らせが入り、春綱は今は子に倣おうと、切腹を取りやめ、武田軍に降伏しました。

GEDC0633.jpg

 水の手です、今も水をたたえています。

 今回は半日の踏査でしたが、松井田城の半分以下しかレポートできませんでした。全てを踏査しようとすると一日では足りないかもしれません。

*信玄は、「安中春綱は惜しい武将だが、降参が遅く、武田の兵も多く死んだので」と詰め腹を切らせ、子、広盛には本領安堵とし、甘利の妹を嫁にとらせたとのことです。

 信玄はその後すぐに箕輪城を攻め落とし、利根川以西を領国としたため、松井田城は前線から遠くなり、戦略上の意義を失いました。つまり、武田軍による改修はされずに、安中氏時代の遺構がそのまま残されていると思われます。

GEDC0648.jpg

 南側から見た松井田城の遠景でお別れです。

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