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松井田城(6) ~ 武田信玄攻囲

 松井田城の第6話です。

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 前話までは、大道寺氏時代に普請された松井田城です。

 この回からは、安中氏時代の松井田城です。

 大道寺時代の本郭「櫓台」から東へ下っていくと安中氏時代の松井田城が残っています。

 安中氏時代の遺構全体を「安中郭」と呼びます。この写真は安中郭の「本郭」の写真です。

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 イメージ図をご覧いただけると、上のややこしい解説がご理解頂けるでしょうか。

 大道寺氏本郭周辺が豪放なイメージとすれば、安中郭は繊細なイメージでしょうか?

 横堀、竪堀、枡形と技巧的なパーツが並べられています。

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 本郭から二の郭へ移動すするお仲間の写真です。奥に堀があり、その奥に二郭の塁壁が見えます。なかなかの規模であることが伝わりますでしょうか。

*1560年に上杉謙信は関東を席巻します。滅亡の危機にさらされた北条氏康は、武田信玄に援軍を要請します。信玄が氏康を助けるには関東にも足場が必要です。信玄は1561年には南上野の国峰城を奪取し、1563年には、北上野の岩下城を奪取、中上野の安中氏を孤立させます。

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 本郭北側の横堀の写真です。

*1564年、武田信玄はツイニ安中領制圧の兵を催します。

 安中氏は、軍勢を二つに分け、父の安中春綱は松井田城に、子の安中広盛は安中城に籠りました。

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 二郭へ登っていきます。

*関東古戦録によりますと・・・

 安中城攻めを命じられたのが、甘利信景、原昌勝、曽根昌世、小幡重貞など・・

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 二郭の先の堀切です。

*松井田城攻めを命じられたのが、飯富虎昌、浅利信音、小宮山昌友、城織部資充、原勝重、市川梅印など・・

GEDC0616.jpg

 「う」の郭だと思います。整備されていないので写真の判別が難しくなってきました

 GEDC0617.jpg

 「い」の郭への段差だと思います。

*旧松井田町教育委員会配布資料によりますと、武田の攻囲兵数は3000、守る松井田城の守兵は360だったとのことです。

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 「あ」の郭だと思います。縄張り図を見るとこの先にも郭が続いているのですが、ヤブで踏査を断念しました。

*通常城攻めには3倍の兵数が必要といわれます。この攻囲戦では8倍以上の兵数が投入されました。

 更に、別途信玄本隊が8千~1万で開始されたと推察いたします。

 信玄のことですから、上杉謙信の援軍が来ないことを確認しての仕掛けです。

 安中春綱自刃へ続く・・・

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