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名胡桃城(2) ~ 事件はあったのか?

 名胡桃城の最終話です。

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 左が三郭、右が二郭、奥が般若郭です。

*1582年3月、武田家が滅亡し、信濃と上野は織田信長の差配することとなり、真田昌幸は信長へ臣下の礼をとります。

 同年6月、信長が本能寺の変に倒れると、北条氏政が上野と信濃へ侵攻し、真田昌幸は北条家へ従います。

 同じころ、徳川家康は信濃、甲斐へ侵攻、北条氏と対峙します。

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*家康は真田昌幸に「俺に味方したら、領地は思うがままだ、上野箕輪城、諏訪一帯もやる、甲斐にも領地をやるぞ」

 これに乗った真田昌幸は碓氷峠を閉鎖し、北条軍の補給を断ってしまいます。

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 二郭に入りました。

*補給に窮した北条氏政は、徳川家康と和議を結びます。

 条件は「甲斐・信濃は徳川」「上野は北条」でした。

 家康は、真田昌幸に言います。「悪いけど、沼田を北条にあげちゃってくれないかな? そのうち代わりの土地を工面するから、ね、ね」

 真田昌幸は、怒ります。「北条が甲斐・信濃から撤退したのは誰のおけげですか? 私、真田昌幸が碓氷峠を封鎖したからだよね。領地を沢山くれるって言ったのに全然くれないじゃん。沼田はあんたから貰った土地じゃねえんだ。オイラが切り取った土地なんだよ。北条にくれてやるなんて、やなこった。」と、上杉景勝を通じて、豊臣秀吉の傘下に入ります。

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 二郭から本郭を撮影しました。

*1586年、中央では豊臣秀吉が覇権を確立し、葱無事令を出します。

 戦国時代の領地は切り取り次第で、切り取った大名が決めていました。

 「これからは領地を確定させる権限は一大名には無い! 領地を確定させる権限は日本でただ一人、この豊臣秀吉だけが持っているのだ」というわけです。

 秀吉は、北条氏政に「上洛して、私のもとにヒザマズケ」と命じます。

 北条氏政は、秀吉に言います。「徳川と和睦した際、上野は北条と決めたのに、上野の沼田は真田が持ったままです。あんた、偉いんだったら、ちゃんと領土裁定して、沼田を渡して見せて下さいよ。それが出来るんだったら、上洛してやってもいいっすけど・・・」

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 本郭手前の堀です。

*秀吉は、真田昌幸に沼田を手放すよう迫ります。

 真田昌幸は、「秀吉さまのご命令なら仕方がありません。しかし、名胡桃は真田家墳墓の地です。名胡桃だけは、どうぞ残してやって下さい。

 秀吉は、真田昌幸の要望を聞き入れ、「名胡桃だけは真田へ残す。他の沼田地方は北条へ渡す」裁定を下しました。

 北条氏政は、この裁定に不満を抱きました。「関白だのなんだのぬかしても、真田に言うことをきかせることもできないんじゃ大したことないな」言を左右にして上洛をしませんでした。

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 本郭です。

*1589年、北条方「沼田城代猪俣邦憲」は、名胡桃城を奪取したとされています。

 猪俣独断説と、北条家の指示説があり、論争が続いていましたが・・・

*2016年2月18日追記

 近年、名胡桃城奪取事件は無かったのでは?

 秀吉と真田昌幸によるでっち上げではないか?

 ・・・とする説が浮上してまいりました。

 事件があったとされる時期より前に、秀吉が軍勢動員や兵糧調達の指示を出していたというのです。

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 本郭から、笹郭を見下ろしました。

*秀吉は、北条家を攻め滅ぼし、名胡桃城と沼田地方は真田の手に戻ったのでした。

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 名胡桃城の南西には 「富士浅間の砦」 があります。

 名胡桃城の支城として、真田昌幸が築いたとされています。

 登山道が整備されていますので、名胡桃城訪問のついでに、登ってみてはいかがでしょうか?

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: 懐かしき名胡桃城
らんまる様 ご来訪有り難うございます。

 名胡桃城問題ですね。

 この問題も魅力的な説があふれていて、考えれば考えるほど、楽しくなってきます。

 北条の判断ミスがどの様な根拠に基づいているのか謎ですよね・・・

 謎と言えば、長篠で強攻策をとった武田勝頼の判断ミスの根拠も謎ですね・・・
懐かしき名胡桃城
数年前に真田一族の城跡を訪ねて名胡桃、沼田まで遠征した事を思い出します。なんせ岩櫃城は二度も攻めました(汗)
バイパスに分断されてしまい、惜しい事になりましたが北条氏滅亡の引き金となったエポックメイキングの場所です。
沼田城の引き渡しと名胡桃城については、豊臣秀吉と真田昌幸の密約があり北条を潰す為の猿芝居だったという説もあり、タヌキと猿の名演技に北条が見事騙されたというのは面白いですね。
ゴミみたいな砦の為に関八州を棒に振った北条氏は情報戦に乗り遅れた過去の遺産となり果てました。
希代の策士だった早雲公も呆れた事でしょう…(笑)
懐かしい城跡のレポートありがとうございました。
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