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杉山城(7) ~ 論争は続く

 杉山城の最終話です。

GEDC0379_20111217111449.jpg

 この写真は、下の図ですと「お」の下のあたりから、本郭の塁壁を見上げています。

 右上が「C」の小口です。

002_20111217104708.jpg

*徹底した横矢掛りと、伏兵出撃~退却路、射撃による制圧範囲の計算等、高度な縄張りが見事に残存する貴重な存在です。

 国の史跡にも指定されています。

GEDC0381_20111217112009.jpg

 「お」から「C]へ向かっています。

 左側から横矢がかけられるようになっています。

*杉山城は、長く北条氏が築城したと思われていました。

 ところが発掘調査の結果、それより以前、山内上杉氏と扇谷上杉氏が争った「長享の乱」の頃の築城であるとされました。

GEDC0395.jpg

 本郭に入りました。

*北条築城説を唱える人たちは反論しました・・・

 確かに創始は「長享の乱」のころかも知れない。

 しかし、山内上杉氏にこの様な高度な城を築く技術があったはずがない。

 「長享の乱」の頃は単純な砦で、その後北条氏により大規模な改修を受け、現状の遺構となったのではないか?

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 本郭の、図左側の張り出しから、「お」と「C」を見下ろしました。

 「え」に至る伏兵通路も見えます。

*しかし、北条の記録には、杉山城どころか、近隣の菅谷城や高見城の記述もありません。

 それどころか、新たな事実がわかってきました、長引く「長享の乱」によりこの地域は文字どおり焼け野原となり、広範囲にわたって居住者がいなくなってしまった。そのことにより杉山城の下を通っていた旧鎌倉街道は、街道としての機能が維持できなくなり、街道は西側に付け替えられた、もしくは西側にあったしょぼい道が、主要街道に格上げされたのです。

 北条の記録には、西側の街道沿いの城の名前が残されています。

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 城址碑です。

*杉山城の堀幅が、鉄砲大量導入期の城としては狭いということも、杉山城「長享の乱」築城説のベースになっていました。

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 杉山城から見た「高見城」です。「長享の乱」の頃には両城が連携して、防御ラインを形成していたと思われます。

*最近になって、杉山城の縄張りが「賤ヶ岳の戦い」の際に築かれた「玄蕃尾城」に類似している。杉山城は秀吉による北条征伐の際に、上方勢により改修を加えられたのではないかという人が現れました。

 鉄砲大量導入期だからといって、堀幅が一様に広いわけではないというのです。

 確かに私が昨年の夏に訪れた「加賀・松根城」は、鉄砲大量導期に佐々成政の改修を受けたにもかかわらず、杉山城に類似した、細かい細工がしてありました。

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 西側の旧鎌倉街道のあたりから、見た杉山城の遠景でお別れです。

*技巧的すぎる縄張り故、今後も杉山城に対する論争は尽きないことでしょう。

 個人的には、それぞれが、それぞれの思い入れを持って、杉山城の素晴らしさを楽しめば、それが一番ではないかと思います。

(記述にあたっては、埼玉県立歴史資料館編集「戦国の城」と、歴史学者の講演会に度々参加されているお城仲間のМさんからの情報を参考にさせていただきました。Мさんありがとうございました。)

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: Re:流通年代とかわらけ
KY様 ご来訪有難うございます。

 ところで・・・

 私は・・・ 武蔵の五遁を名乗っております。

 武蔵の五遁です・・・
Re:流通年代とかわらけ
かず様

>考古(といっても縄張り側)の中井さんも納得されてました。
中井さん出されても関東の方は納得しないのではないでしょうか?
中井さんが縄張論者の総意だと思われているならチャンチャラおかしいですよね。
たとえば奈良文化財研の尾野さんとかは大窯1の上限を1560年程度としていましたが、考古代表を尾野さんにしたら藤沢さんが怒るんじゃないかと思いますよ?
おなじ瀬戸物見て藤沢さんと尾野さんで40年も開く理由はわかりませんけど。

>明確な回答があるのでしたら西股氏に教えてあげるといいと思います。
明確なのは生産地至近の遺跡でも30年近くズレるってだけです。
ま、当然埼玉でズレが少なくなるワケはありませんよね?
「瀬戸美濃窯生産陶器の出土量が十分に多くない遺跡や遺構においては、少量の最新形式資料が欠落し誤った年代を導き出す可能性が高い」という鈴木さんの指摘がそのまんま当てはまるのが杉山城かと。

>かわらけ編年が動かない
どのかわらけ編年が絶対なのですか? 小田原?
まさか杉山の?w



Re: 書籍紹介
 情報提供ありがとうございます。

 高志書院さんは、通好みの本を出されますね。
書籍紹介
お久しぶりです~

「歴史家の城歩き」中井均、齋藤慎一(高志書院)2700円

城郭愛好家の人におすすめの本が1冊出ました。
城郭研究最前線の2人が城の見方や今後の城郭研究のあり方などを語ってます。
杉山城についても書かれてます。
こういう本はすぐなくなるのでお早めに~
過去記事にありがとうございます。
かず@川崎 お久しぶりです。

 杉山城の記事はかなり前のものなのですが、未だにコメントを頂けるとは・・・

 杉山城問題は、各論、入り乱れて、論争が続いていますね。

 どのような形であれ、お城に関する論議が盛んにおこなわれることは喜ばしいことだと思っております。

 歴史素人の私には、傍観するしかありませんが・・・

 私の場合は、防御構造オタク、兼、防御構想オタクなので、年代のほうは・・・

 最近、静岡県御前崎市のお城にはまっています。

 登り土塁が多用されているのが面白いです。では!

 
流通年代とかわらけ
>杉山城の年代を担当者が決めた遺物は瀬戸美濃、

当初はそうです。
その次の杉山城のかわらけのシンポジウムで
考古(といっても縄張り側)の中井さんも納得されてました。

>流通年代が変わるとお思いでしょうか?

流通年代は縄張り屋の西股氏が山梨のシンポジウムなどで問題提起してます。
明確な回答があるのでしたら西股氏に教えてあげるといいと思います。

かわらけ編年は在地か大名系とかそんなもんどうでもよくて、
かわらけ編年に精度が出ているのか?という点です。
結局は大窯編年がかわらけ編年より精度はでない。
簡単に言えば簗瀬氏が大窯の精度が出ないと困ってらっしゃる。
新しい大窯編年作ってもかわらけ編年が動かないから大窯編年おかしいという話になる。そんな軽くチョチョイと解決できる話ではないと思いますよ。
Re: Re: 蛇足ですが、カワラケに関して
> ky様 ご来訪ありがとうございます。
>
>  情報提供をいただいて、勉強になります。
蛇足ですが、カワラケに関して
さて最後に蛇足。瀬戸美濃がズレるのは確実なわけで、それで「かわらけ」が出てきたわけですが…
>年代を測るにはかわらけやすり鉢を頼りにするようにしましょう
>という認識だったかと思います。
これはコレで正しいのですが、かわらけは大変クセモノです。なにせショボい窯でも焼けますから地域差が出やすく広域で比較して編年、という常套手段が取り難く、標識遺跡も少ない現状です。わらけの年代を決めるのに共伴する瀬戸美濃を使うと一緒にズレてしまいますし。
田中信氏が「ウズマキかわらけは扇谷上杉氏のかわらけだ!だからコレが出る城は後北条氏以前だ!」とかおしゃって、考古仲間に「みんさんこの説に乗ってみません?」と言ったけれど、あまり乗ってくれなかったようです。

「江戸遺跡研究会第25回大会「江戸在地系カワラケの成立」に参加して」
佐々木 健策氏
http://edo.jpn.org/cyber/2012/edk130.pdf
>「私も小田原北条氏を例に「小田原北条氏の権力とかわらけ」と題して論じたが、結論的には小田原北条氏を例外として領主権力とかわらけとの因果関係については否定的な立場を取っている」
>「今回、田中信氏の発表では、かわらけが地域権力に付随するだけでなく、扇谷上杉氏R種渦については、扇谷上杉氏の代替わりに伴って変遷している可能性があるとの考え方が示された(註3)。画期的なご意見であるが、本大会のシンポジウムでも権力体とかわらけの関係は必ずしも存在するものではないとの意見が大勢を占めたかと思われる」

これらの動向を知らずに「渦巻きかわらけ」という言葉だけ知っていて「やれ●●城でウズマキが出た、後北条以前の城だ!」とネットでやられる方が後を絶たず、頭が痛い思いです。

今や全国の発掘調査報告書がネットで閲覧できる時代です。
「全国遺跡報告総覧」
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja
ちょっと探せば、何やら渦巻きかわらけっぽいかわらけが、扇谷とは縁のない城郭からも出土しているのが見つかります。

「群馬県指定史跡大胡城跡 本丸北大堀切り遺跡」
http://sitereports.nabunken.go.jp/ja/15396
(38ページの3,9他にご注目下さい)
それとも扇谷は群馬も支配下に置いていたのでしょうか? そんな大勢力がなぜ山内に遅れをとったんでしょう? てかこの巨大堀切を15末~16世紀初頭に築いていた?? お答えは自ずと出るかと思います。
というわけで(私の書き込みも含みますが)簡単に勉強になりますとなさらず、手軽に情報を得ることが出来る世の中ですから、ご自分なりに色々探されたほうが良いかと存じます。

長々と失礼しました。では。
変化ありますよ?
お久しぶりです。
そして久しぶりに覗いてみましたら、何だか知らないうちに勝手に他人から解説されてしまったので自分で補足したいと思います。

>遺物の年代は地域で傾向が異なるため各地域で研究されますので、
>千葉県の問題がそのまま埼玉県に適用されるわけではありません。
とかずさんは言っておられますが、杉山城の年代を担当者が決めた遺物は瀬戸美濃、つまり岐阜県産です。埼玉県産ならいざ知らず、岐阜から運ばれた遺物が同じ関東で隣県である両県で大きく流通年代が変わるとお思いでしょうか?
実際他の地方でそんな類例は聞いたことがありません。あっても数年とか考古学的に無視していいレベルの誤差かと。
また「考古学の大御所」と、名前も論文タイトルも明記してないので何とも言えないのですが、考古学サイドからも杉山城は永禄頃の可能性十分と実証されています。

「尾張の拠点城館遺跡出土の瀬戸美濃窯産陶器」
鈴木正貴氏
http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo02/02suzuki.pdf
>「大窯第1段階が主体を占める遺物群の廃絶時期は可能性として1550年くらいまで下ることもあり得る」
生産地である岐阜の隣県である愛知県ですら、たっぷり30~40年ズレる可能性があるわけで、埼玉県ではズレない、杉山城だけはズレないと主張される大御所が万一いるのでしたら単純にその方はセンスが無いのかと思います。山内清男氏という土器の型式学編年では大物中の大物でも間違える時は間違えました。
そもそも瀬戸美濃編年をした藤澤良祐氏が消費地の年代観の決定的物差しにならないと指摘されています。というわけで、杉山=16初頭という古い見解を否定する研究成果が着々と蓄積されているのが最近の考古学の動向です。
Re: 変化あるんです?
かず様 御来訪ありがとうございます。
 当方遺物研究にはうといので、勉強になりました。
 ご指南ありがとうございます。
変化あるんです?
武蔵の五遁さん、お久しぶりです。kyさんの杉山城の件についてざっくりですが解説します。

千葉県の城館の遺物が城の年代と合わないという事例が多数ありました。
遺物の年代は地域で傾向が異なるため各地域で研究されますので、千葉県の問題がそのまま埼玉県に適用されるわけではありません。
ただ、千葉県でこういう問題があったんですが埼玉県はどうです?という問題提起ならば、それはアリでしょう。
しかし、埼玉県のこのような事例が多数発生しているわけでもないですし、そうそう覆るものではないと思います。

結論として研究者ではこの千葉の遺物(確か瓶だと思ったのですが)で年代を測るのは困難なので、年代を測るにはかわらけやすり鉢を頼りにするようにしましょうという認識だったかと思います。
また、千葉の遺物の問題は意味がないというわけではなく、今後の課題として解決すべき重要な問題であり、簗瀬氏の問題提起は当然です。

研究者の動向については、考古の大御所達が「意外と縄張り研究が当てにならなかった」「杉山城のかわらけの時代観は正しい」といった内容の発言がシンポジウムなどを重ねるにつれ続々と蓄積しているように思います。その逆の意見は停滞気味で最近聞く事がないです。
論争の行方が楽しみですね!
KY様 御来訪ありがとうございます。

 ひとつの説が披露されると、また、別の説が披露されて、杉山城論争が盛り上がるのは嬉しいことです。
 私のお城友達のMさんが勉強熱心な方なので、論文の写しを提供して下さいます。
 私は学者ではありません。土の城愛好家です。
 論争は学者の皆様にお任せして、素人は学者の論争をワクワクしながら見守ろうと思います。
 次はどんな見解が出てくるでしょう?
 
 過去に定説であった件も、今はくつがえされているものが多いですね。
 今の定説も、10年後にはどうなっているのか・・・

 楽しみです!
ky
お返事有り難うございます。
文献からは椙山之陣=杉山城ではない、という見解が出されているようです。
http://rek.jp/?p=6279
また考古学からは簗瀬裕一氏が「東国における戦国期城館と出土遺物の年代観についてー年代の「ずれ」と欠落の問題を中心に-」(佐藤博信編『中世房総と東国社会』岩田書院、2012)において、遺物の年代が遺跡の年代とズレる点を、「城館の出土資料がそのまま素直に城館の年代や歴史を反映しているという前提を、白紙に戻す必要がある」と指摘し、杉山城も16世紀を主体に、ある程度の期間存続した可能性を示すなど、縄張論の年代観に近づくような考えを示しています。
どうも15末~16初頭、という結論は最近変化しつつあるようですね。
Re: 杉山城の年代
KY様 御来訪ありがとうございます。
 遺物派、文献派、信頼度の高い文献のみ派、縄張り遺構観察派等、それぞれ別の物指しで自論を主張される傾向があり、物差しが違うので論議が噛み合わない感じがしますね。
 決着がついて欲しいという気持ちと、ずっと決着がつかないでいて欲しいという気持ちが両方、私の中にあり、複雑な気分です。
杉山城の年代
最近では文献上戦国末期の使用が確実なのに、遺物は16世紀前半止まりの「逆杉山城」事例ばかり増えちゃってるみたいですね。杉山城問題の決着も着く頃かもしれません。
論争が広がりましたね
丸馬出し様 御来訪ありがとうございます。

 「杉山城、天正18年北条改修説」
 杉山城問題の論争の幅がまた広がりましたね。

 実は昨日、茨木の小坂城に行って参りました。茨木の城はだだっ広いだけで単純な造りのものがほとんどなのですが、そんな中、小坂城は杉山城に類似した構造を持ち、コンパクトかつ大変技巧的なのであります。
 城本には、古い土豪の城とされていますが、もっと後期のものではと妄想を広げています。小坂城も天正18年の仲間だとしたら面白いですね。


> 武蔵様の記事で妄想が膨らみましたので
> こんな説はどうでしょうか。
>
> 縄張りが上方の勢力が造るにしては、細かく、精緻で不自然な印象がしてなりません。ということで、
> 北条の殿様から豊臣の軍勢を食い止めなさい
> という軍令を実施するために、少数であろう杉山城の守備部隊が、生き残るために、知恵を出し合って命を懸けて改造したのが今に残る杉山城なのではないかと。なんといいますか、生き残るための執念が縄張りに表れているような感じがしてなりません
Re: 妄想は膨らむ程楽しいと云う訳で・・
らんまる様

 御来訪ありがとうございます。
 縄張りも、人によっては馬出しと捉えたり・・・単なる小塁ととらえたり様々ですよね。
 色々な可能性を色々な角度から、考え続ける「妄想」が、歴史と城を楽しむ上で重要な
ツールでないかな?と思っています。

 城跡に立ち、あれ? こっちの防備が弱いな、この先に何か別の防御設備があるのでは?
と妄想し、行ってみたら、先人の縄張り図には無かった堀や切岸を発見出来たりもします。
丸馬出し
武蔵様の記事で妄想が膨らみましたので
こんな説はどうでしょうか。

縄張りが上方の勢力が造るにしては、細かく、精緻で不自然な印象がしてなりません。ということで、
北条の殿様から豊臣の軍勢を食い止めなさい
という軍令を実施するために、少数であろう杉山城の守備部隊が、生き残るために、知恵を出し合って命を懸けて改造したのが今に残る杉山城なのではないかと。なんといいますか、生き残るための執念が縄張りに表れているような感じがしてなりません
妄想は膨らむ程楽しいと云う訳で・・
武蔵の五遁様、仰せの通りだと思います。

我々が見ている山城は、当時の最終形であり、途中の改装の過程など古文書でも発見されない限り永遠の謎であると思います。人それぞれの見解があって然るべきで、それを肯定も否定もせず各人の妄想の範囲を越えないものですね。
だからこそ楽しい。
縄張りを通して見えるもの、古文書を通して見えるもの…それぞれの融合する先は共通なのだと思います。
古城探訪 に痺れてしまった人々は謎を楽しみ深みにハマるものだと思うておりまするが・・・(笑)
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