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木曽小丸山城 ~ 鎌倉時代創始

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成23年11月某日には、木曽小丸山城に行って参りました。

木曾福島アク

 長野県木曽郡木曽町福島にあります。
 JR中央本線「木曽福島駅」北東の木曽青峰高校が二の丸であったとのことです。

GEDC0499.jpg

 木曽川対岸の福島会館から見た小丸山城の遠景です。

*木曽というと、平安時代末期に平氏を都から追い落とした木曽義仲が有名ですが、義仲は源頼朝により討ち死にてしまいます。

koma.jpg

 河岸段丘を利用した城であったようです。高校建設により、二の郭が非常に広くなってしまっていますが、往時は、堀があり、区切っていたと推察いたします。

*木曽氏は没落しますが、鎌倉後期の元寇の頃に、木曽氏がこの小丸山城を築いたとのことです。

 小丸山木曽氏は、木曽義仲の末裔を名乗りましたが、実際の末裔かどうかは不明であるということです。

GEDC0525.jpg

 高校へ行く自動車道があるにもかかわらず、本丸西方の道なき斜面を登る私に対するご褒美の様に、段郭がありました。

GEDC0526.jpg

 二の郭です。これでは広すぎて守れませんね。

GEDC0527.jpg

 本郭には通信施設が建設され、立ち入り禁止でした。

GEDC0528.jpg

 二の郭を区切る堀があったと妄想する場所です。

GEDC0530.jpg

 小丸山城から見た、上之段城です。目と鼻の先ですね。

*武田信玄が侵攻してきた際には、上之段城に木曽義康、小丸山城に木曽義昌がいたとのことです。

GEDC0468.jpg

 福島城から見た、小丸山城の遠景でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: 木曽侵攻は夢のまた夢…
らんまる様 ご来訪ありがとうございます。
 現地教育委員会にあった本に「木曽は戦国初期まで美濃だった」とする説が載っていました。
 朝廷が武田信玄に対して信濃守護を認めた時期と前後して、信玄が木曽を領有したので、信濃
守護の信玄が保有しているのだから、木曽は信濃だ!となったとか・・・
 木曽へは岡谷から下っていったのですが、帰りは権兵衛トンネル経由で伊那インターに出まし
た。権兵衛峠経由の方が時間が節約できた感じがします。
 西上の軍を催す際の参考にして頂ければ・・・
木曽侵攻は夢のまた夢…
羨ましいですなぁー。

「木曽をすべて山の中である」と云ったのは島崎藤村の「破戒」の序章でしたっけ?

小生も三岳村にお客様がいるので、年に最低一度は木曽に商用で行くのですが、半日がかりですわ(笑)
完全に中京圏で、中津川に買い物に行く住民も半数を占めていて長野県への帰属意識は低いですね(爆)

美濃や尾張への足掛かりとして晴信公が意識したのは当然の結果であり西上の軍を起こすにも、木曽の制圧は必須だったと思われます。

小生も西上の軍を起こす時に参考にさせて頂きます(笑)
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