FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  木曽福島城(1) ~ 木曽義康築城

木曽福島城(1) ~ 木曽義康築城

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。

 平成23年11月某日には、木曽福島城に行って参りました。

木曾福島アク

 長野県木曽郡木曽町福島にあります。

 福島小学校のすぐ東にある公設駐車場に車を止め、城山遊歩道の表示に従って登って行けば迷うことはありません。

 公設駐車場のすぐ北には福島会館があり、中には教育委員会のコーナーがあります。私はここで福島城に関する資料の写しを頂戴することが出来ました。

 「現在出回っている図面には現状と符合しないところがある。差し替える予定だ。一番信用できるのはこれです。」と詳細な地形図も下さいました。

 突然の訪問にもかかわらず、親切に応対下さりまして有り難うございました。


 現地で確認すると先のお話の理由がわかりました。

GEDC0462.jpg

 登り口までは、このような看板がいくつもあり親切です。

*さて、戦国期、甲斐の武田信玄が信濃へ侵攻すると、木曽義康は、小笠原氏や、村上氏と連合して信玄に対抗しました。

GEDC0463.jpg

 登り口です。道は良く整備されています。

*1549年、塩尻峠の戦いで、小笠原長時は、武田信玄に惨敗します。その後武田軍は木曽領の北方の塩尻市と木曽領東方の上伊那を制圧していきます。

GEDC0467.jpg

 福島城から、木曽川対岸の上之段城を見下ろしました。

 グラウンドと、その背後の小山が上之段城です。

*そのころの木曽氏の居城は上之段城でしたが、御覧のように、河岸段丘上に選地しただけのだだっ広い城で、平時の統治には向いていましたが、とても敵の本格的侵攻に耐えられるものではありませんでした。

GEDC0468.jpg

 小丸山城も見下ろすことができます。

 学校のグラウンド一帯がそうだったようです。

GEDC0474.jpg

 三郭に到達しました。

*木曽義康は、信玄の侵攻に備え、上之段城の詰城として、福島城を築いたと推察されます。

fuku.jpg

 イメージ図は、一番信用できる地形図に自らのスケッチをあてはめて作成しました。

*木曽義康の子、木曽義昌の代の築城とする説もあります。しかし、縄張りオタクの私は同意できません。

 御覧のように福島城は単純な作りで、横堀も、小口も、馬出しも、枡形もありません。

 木曽義昌が跡を継ぐのは、木曽義康が武田信玄に降伏した後の事です。

 木曽氏降伏の際、信玄は娘を嫡子の義昌へ嫁がせ、木曽氏を親族衆としています。

 木曽義昌が築城するということは、武田信玄のムコ殿が築城するということになりますから、武田の築城技術の粋が集められるはずです。

 しかし、現状はそうはなっていません。木曽地誌にも木曽義康の塁と記されており、私は木曽義康築城説を支持します。

 小笠原貞慶侵攻へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード