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藪原砦(2) ~ 武田信玄の深慮

 藪原砦の第2話です。

rGEDC0427.jpg

 尾根続きには神社があります。

 神社建設のため削平されたのであれば砦の遺構ではないかなと感じましたが・・・

*甲陽軍艦によると・・・

 武田信玄が鳥居峠を制圧し、木曽谷を制圧しようとしたとき、川中島に上杉謙信が現れたとの連絡が入った。

 信玄は、藪原に砦を築かせ、栗原左兵衛と多田淡路を配し、謙信迎撃へと反転した。

 rGEDC0428.jpg

 神社の奥にも削平地が広がっており、神社建設以外の意図でも削平されていることがわかります。

 つまり、ここは藪原砦の一部ではないかと推察いたします。

*謙信は、信玄と5日間のにらみ合いをしたが、越後へ兵を引いた。

yabu.jpg

 イメージ図を作成しました。先人の図面が手元にありませんでしたので、自らのスケッチとヤフー地形図から起こしました。

 第1話で撮影した場所が、「あ」です。

 この第2話、はじめの写真が「い」で、2番目の写真が「う」です。

*信玄は再び、鳥居峠を越え、藪原を通過し、木曽谷を蹂躙した。

GEDC0432.jpg

 「お」の郭には鳥居峠の石碑があります。

*木曽氏は、「自分の領地をことごとく献上します。甲府にてご奉公させてください。」と、降参した。

GEDC0431.jpg

 看板には、「鳥居峠古戦場」とも書かれていますね。

 これは武田勝頼の代のことですね。

*信玄は、木曽氏の嫡男義昌に娘をめとらせ、親族衆として遇する一方、家老として、千村備前と、山村新左衛門を配し、領国経営を取り仕切らせた。

GEDC0433.jpg

 「お」の郭からは、藪原宿を見下ろすことが出来ます。

*信玄の家臣たちは、「信玄公が藪原に砦を築かせ、兵を残しておかなければ、木曽殿がこうもたやすく降参することは無かったであろう。信玄公の軍備に対する考えは素晴らしい。」と、話し合ったとのことです。

 精緻「六曲がり小口」へ続く・・・

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