FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  上野新堀城(3) ~ 総社衆多比良氏

上野新堀城(3) ~ 総社衆多比良氏

 新堀城の最終話です。

GEDC0157.jpg

 本丸東側の堀跡を、北側から撮影しました。往時は深さ7~8メートルはあったものと思われます。

002_20111009082153.jpg

 日本城郭体系によりますと、多比良氏が城主であったとのことです。

*1552年には、関東管領上杉憲正が関東を捨てて越後に逃亡し、上州は北条氏康の手に落ちます。

 1560年に、長尾氏が、上杉憲正を奉じて、関東を席巻し、上野を手中にします。その際に、それに従った武将の名簿「関東幕注文」には、総社衆の一員として多比良氏の名前が記されています。

 総社衆とは、総社城を拠点とする勢力とその配下という意味で、総社城は前橋市にあった当時の拠点でした。群馬総社駅の近くでした。

GEDC0158.jpg

 北郭は、大藪で侵入不能でした。左奥に写っているのが上信越自動車道です。

*長尾氏(上杉謙信)の関東席巻の翌年1561年には、武田信玄が西上州に進出し、国峰城を手中に収めます。新堀城の西方約8キロです。


GEDC0161.jpg

 本丸南側の堀を西側から撮影しました。東側に山が写っています。この城は見渡せる方向が北側に限られているところが欠点ですね。

*日本城郭体系によると1563年、新堀城は武田信玄の侵攻に落城したとあります。

GEDC0163.jpg

 左が馬出し。右には往時横堀があったと思われます。

*関東古戦録によると、武田氏が滅亡したさい、滝川一益のもとへ馳せ参じ、人質を差し出した武将の中に平(たいら)氏があり、これは多比良氏であると思われます。

GEDC0164_20111009103037.jpg

 馬出しに登りました。広いですね。勝手に馬出しと名付けましたが、本丸前郭としたほうが良かったでしょうか。

*滝川一益が上野を捨てると、北条氏政が上野を収めます。しかし、1590年豊臣秀吉により北条氏は滅亡します。多比良氏は、上杉景勝配下の藤田信吉を通じて、降伏したとのことです。藤田氏も多比良氏も元は共に関東管領山内上杉氏の配下で、同僚でありましたから、降伏するにしても安心感が持てたのでしょう。

 多比良氏は一領民となったと推察されます。

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード