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松代城(1) ~ 海津城の生まれ変わり

 平成23年8月6日、お城仲間のМさんと松城城に行ってきました。

 観光名所ですので、到達方法のご案内は不要ですね。

107_20111002150126.jpg

 西から見たイメージ図が掲載されています。

*松代城の前身は海津城で、武田信玄が築城させたとされています。

105_20111002150346.jpg

 西側の堀です。

*川中島の領有権をめぐって、信玄と上杉謙信が対立、信玄は川中島の拠点として海津城を築いたのでした。

109_20111002150642.jpg

 本丸の西側小口が復元されています。

*海津城の戦地は独特のものでした。

 西側の千曲川を天然の堀とし、他の北、東、南を山に囲まれています。

111_20111002150902.jpg

 本丸の天守台です。

*北、東、南の山上には城塞をたくさん構えました。

 敵が、千曲川を渡って、海津城を包囲すると、その時点で山城群に包囲され、退却路を断たれているという仕組みです。

113_20111002151217.jpg

 西側の小口を入っていきます。

*海津城を攻めようとすると、まず、山城群をシラミツブシニ制圧していかなければなりません。

114_20111002151444.jpg

 枡形になっています。

*海津城のことろは、土塁の城であったはずです。

 真田信幸入城へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: 稲荷山城
丸馬出様 ご来訪ありがとうございます。

 ある方の説によりますと・・・
 第4次川中島合戦では武田親族衆が多く戦死している。
 他の戦では先方衆ばかり戦死しているのに・・・
 この謎を解決するために、先方衆は別動隊だったという説が生み出された。
 実際は、先方衆は関東管領に就任した謙信に刀を送り、日和見していた。
 だから、武田親族衆が戦わざるを得なかった。
 だから、武田親族衆の戦死者が多く出た。
 別動隊など無かった。
 謙信は、善光寺北東の「西条」にある若槻山城に布陣した。
 「さいじょう」の山城が・・・
 「妻女山」に・・・
 諸説あり、楽しいですね。では!
 

> 当初、謙信さんは塩崎城を攻囲したのかと
> 考えたのですが、景勝さんが、稲荷山の隘路を封鎖するように稲荷山城を作っているので
> 直感的に稲荷山布陣を思いついたしだいです。
> それと、攻勢側の上杉軍の視点で見ないと
> 川中島の戦いは理解できないように思えますねえ
稲荷山城
当初、謙信さんは塩崎城を攻囲したのかと
考えたのですが、景勝さんが、稲荷山の隘路を封鎖するように稲荷山城を作っているので
直感的に稲荷山布陣を思いついたしだいです。
それと、攻勢側の上杉軍の視点で見ないと
川中島の戦いは理解できないように思えますねえ
Re: 川中島合戦の分析
丸馬出様 ご来訪ありがとうございます。

 「稲荷山布陣説」ですね。

 悪名高い「妻女山布陣説」を採用されていない点で、好感をもって
拝見しました。

 あれこれと妄想を働かせるのは楽しいですね。



川中島合戦の分析
精力的な活動を拝見して
すごいなあと感心しております。
(自分自身が、コタツにいる猫状態なので)
ところで、
川中島合戦の分析を行ってみました。
時間があるときに読んでいただければ幸いです。
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