FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  高岡城 ~ 高山右近縄張り

高岡城 ~ 高山右近縄張り

 みなさん、こんにちは。
 中世城郭愛好家、土の城派、武蔵の五遁です。
 平成23年8月16日には、高岡城に行って参りました。

高岡アク

 富山県高岡市の中心部にある古城公園がそれです。

242.jpg

 高岡古城公園として整備されています。

*加賀能登越中を手中にした前田利家の二男、前田利長は1585年に守山城にはいりました。

 1598年には、利家の跡を継ぎ、加賀藩主になり、金沢城に入ります。

241.jpg

 図面ですと本丸手前側の堀です。

*前田利長は、1605年には隠居して、富山城に入ります。

 1609年、富山城が大火により焼失してしまいます。

244.jpg

 図面ですと、本丸から鍛冶丸へかかる橋の上から、手前側の堀を映しました。

*前田利長は、高岡の地に隠居城を築くことを決意、縄張りを高山右近に依頼しました。

 高山右近は、大阪の土豪でした。豊臣秀吉に従い、播磨にて6万石を領していましたが、キリスト教に入信したため、領地を召し上げられていしまいました。

 前田家は、そんな高山右近を庇護していたのでした。

246.jpg

 鍛冶丸には高山右近の銅像があります。

*富山城が焼失したのは、6月で、9月には前田利長が入城していることになっています。

 僅か3ヶ月でこれだけの巨堀をめぐらすことなど出来ようがありませんので、普請中に入城し、入城後も普請が続けられたと思われます。

249.jpg

 城外から二の丸からにかかる駐春橋です。

*1614年、前田利長は高岡城にて病没します。

 この機に徳川家康は豊臣秀吉の恩を受けた高山右近の追放を策します。表向きはキリシタン追放ですが、利長無き前田家に、忍従の証を立てさせたのでしょう。

245.jpg

 二の丸から本丸への道は石垣土橋となっています。

*高山右近は、信仰の地を求め、舟で南へ向かいマニラにて病没しました。

 翌、1615年、一国一城の令が発布され、高岡城は廃城となりました。

251.jpg

 本丸に入りました。

 隠居場所にこれだけの広さが必要だったのでしょうか?

252.jpg

 前田利長の銅像です。

 年寄りが道楽の為に、築城・・・ どれだけの領民が苦しめられたことでしょう。

253_20111002144739.jpg

 本丸の図、右側の堀です。

 地形を生かして、縄張りの工夫を重ねる小規模な城を愛する私には、しっくりこなかったですね・・・

254.jpg

 高岡市街を走る、路面電車でお別れです。

 ホームページ 「土の城への衝動」
スポンサーサイト



Comment
Trackback
Trackback URL
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード