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七尾城(3) ~ 上杉謙信侵攻

 七尾城の第3話です。

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 三の丸の西側斜面です。

 三の丸と二の丸の間の堀は深く、また、二の丸の方がかなり高くなっているため、三の丸から二の丸を直接攻めるのは、犠牲が多くでる。そこで三の丸から調度丸へ斜面に沿って行く道もあったそうです。写真はその道のようでしたが、日没が近いので踏査は断念しました。

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 三の丸からはイメージ図の二の丸裏側を通って、九尺石へ向かうルートもあったそうです。

 本当は九尺石なのに、図には三尺をかいてしまいましたね。お詫びして訂正いたします。

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 右が三の丸、中央が堀、左が二の丸です。

*1576年、上杉謙信は越中を制圧した勢いに乗じ、能登へ侵攻、南部の末森城を落とし、織田軍への防衛線としてから、七尾城を囲みます。

 城中は、上杉謙信派の遊佐氏と、織田信長派の長氏が対立しておりましたが、長氏が主導権を握り、2000人での籠城へと、軍議は決しました。

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 二の丸への塁壁に造られた遊歩道を振り返っています。急峻であります。戦国時代はこの遊歩道は無かったでしょうから、攻めのぼるのは困難だったことでしょう。

*長氏は、一向一揆衆を煽動して、謙信の背後を突かせようとしましたが、謙信はそれを察知し、事前にそれらの動きを押さえます。

 謙信は、七尾城の堅牢さを目の当たりにし、我攻めを避け、支城を落としていく作戦へと切りかえます。

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 二の丸に入りました。

*謙信は、翌1577年4月までに支城をことごとく制圧します。

 その頃、関東の北条氏政が謙信の上州における拠点へ圧力をかけたため。謙信は帰国し、上州へ向かいます。

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 二の丸は、200人以上駐屯できる広さがあります。

*北条氏政は、謙信が出兵するとスグに撤退したため、謙信は7月に七尾城下へと戻ってきます。

 城中では、兵糧が底をつきかけ、夏の暑さで衛生状態が悪化し疫病が蔓延、傀儡である幼君畠山春王丸が病死してしまいます。

 合理的防御構想へ続く・・・

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