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七尾城(2) ~ 能登畠山氏築城

 七尾城の第2話です。

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 調度丸から、桜馬場への道を登って行きます。

*現地配布資料によると、七尾城は能登畠山氏の築城であるとのことです。

 室町幕府の管領として権勢を誇った畠山氏は、河内、紀伊、能登、越中などを領有していました。

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*宗家の君主一人で多くの国を統治するのは難しいので、分家に任せる手立てをとることもありました。

 1408年、畠山家二男満慶が能登を拝領し、独立しました。

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 桜馬場から、調度丸を見下ろしました。

 イメージ図に記載してある、調度丸の石垣小口が写っています。

 レポートは、ここから三の丸へと移ります。(中心部の解説を最後にしたいという、私的こだわり)

*平地にある守護館から、七尾城を築城して移ったのが、1521年~28年のこととされています。

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 三の丸です。

*戦国時代が進行しつつある、1566年、七尾城にてクーデターが発生します。

 家臣団により当主「義綱」が追放され、長男の「義慶」が当主に担がれました。

 甲斐の武田信玄はクーデターにより全権を掌握し、この年までに信濃と西上州を制圧しましたが、七尾の新当主は全くの傀儡で、実権は家臣団に握られてしまいました。

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 三の郭の北側です。三の郭は南北二つに区切られていたことが、残存石塁から推察されます。

*1568年には、織田信長が上洛を果たします。始めは室町幕府の将軍「足利義昭和」を奉じていましたが、1873年には、これを追放! 室町幕府は滅亡、幕府から守護を命じられていた能登畠山氏は、能登統治の名目を失います。

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 三の丸の南側です。その向こうには二の丸があります。

*その1573年には隣国越中が上杉謙信に制圧され、能登は上杉謙信と、織田信長の間で揺れ動くことになるのである。

 上杉謙信侵攻へ続く・・・

 ホームページ 「土の城への衝動」
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Comment
Re: 良き城跡ですよね
らんまる様。御来訪ありがとうございます。

 攻城戦記、いつも拝見しております。
 和倉温泉に泊まられましたか? スゴイ!
 私は、温泉街の散策と足湯だけでした(笑)
 雨の七尾城も風情がありそうですね。
 七尾城をフモトから登って、全ての郭を制覇するとしたら、一日がかりですね。
 制覇レポートの配信を楽しみにさせていただきます。
良き城跡ですよね
2年前に家族旅行で和倉温泉に行き、無理を言って七尾城をちょっとだけ堪能してきました。
しかも土砂降りの雨の中で・・・・(笑)
雨に煙る石垣の古城も風情があります。(ってか泥だらけ)
長一族の怨嗟の声が聞こえそうでしたが・・・(汗)
いつか真面目に全部の郭を回りたいと思いつつ、中信濃攻略で泥沼状態に陥っております(爆)
レポート楽しみにしておりまする。
Re: 霜は軍営に満ちて・・・
Мさま。御来訪ありがとうございます。

 私は和倉温泉のはずれにある格安ビジネスホテルに泊まり、高級旅館街を散策して雰囲気を楽しみました。
 早朝の七尾湾を見渡す足湯は良かったです。
 青山、腰越にいかれましたか? いいですね。
 いろいろな県でいろいろな城を見て回って思うのは、比企とその周辺の城たちは、かなり全国的にみてもレベルが高いということです。
 大築は過去2度訪れましたが、未だレポートしておりませんし、花園は最近刈りはらわれたとのことで、是非ともご一緒させて頂きたいです。
 近くなりましたら、また・・・・
霜は軍営に満ちて・・・
母方の祖父母が能登出身なので、和倉温泉には何度か行っているのですが、諸般の事情で(?)行ってないのですよね、七尾城は。レポート楽しみにしてます。

3日、Kさんと青山・腰越に行ってきました。
年明けに大築・花園等に行くことになってます。
五遁さんもいっしょに行けるといいのですが。
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