FC2ブログ
HOME   »  中世城郭  »  現存する道灌がかり「高谷砦」

現存する道灌がかり「高谷砦」

 11月26日に埼玉県小川町の高谷砦に行ってきました。

 文武に秀でた名将と名の高い「大田道灌」は築城の名手をしても知られ、彼の手がけた城は「道灌がかり」と呼ばれ、称えられていました。

 しかし、彼の手がけた江戸城、川越城などは、後世の改変が著しく、往時の「道灌がかり」を見ることは出来ません。

 ところがこの「高谷砦」は、道灌の築城でありながら後世の改変を全く受けておらず。おそらく現存する唯一の「道灌がかり」であると推察されます。

 


 小川バイパス高谷交差点付近から見上げた高谷砦です。

 1480年、同じ小川町の高見城に反乱軍の長尾影春が立てこもります。大田道灌は高見城南約2キロのこの地に高谷砦を築き、対抗し、高見城を落城に追い込んだとの記録が残っています。

 


 砦の登り口には馬頭観音の石碑があります。戦いで傷ついた馬を供養したのでしょうか?

 


 小川バイパスの上を跨ぐ、橋の先に農家があります。その庭先を、飼い犬に吼えつかれながら、逃げるように通過します。マイナーな土の城を愛する者に課された試練です。

 


西股総生氏作成の縄張り図です。高志書院「戦国の城」に掲載されています。

 


        縄張り図、右上に示されている腰郭です。美しい竹林となっています。

 


 竹林の先は、藪、やぶ、ヤブでした。持参のノコギリで道を切り開きながら進みます。何が写っているかわからないかと思いますが、自分が生きた証として、掲載したいと思います。縄張り図中程の堀です。

 


 三の郭らしきところから、堀を隔てて、二の郭らしきところの土塁を見上げた写真です。ある程度の遮断性を確保できています。

 二の郭と三の郭の間にはL字型の堀を挟んで、2本の土橋が平行して設けられています。

 出撃、撤退の際に、相互に補完しあう防御思想は、この時代にあっては先進的であり、(戦国後期、武田氏の築城に類型が見られます)このあたりが道灌がかりなのかもしれません。

 


 本郭とおぼしき場所の写真です。本郭は横堀に囲まれていますが、削平はされていません。

 あくまでも、高見城を攻略するまでの臨時の城であり、防御性さえ確保できれば削平の必要は無かったのでしょう。

 次に来る人の為に、ヤブ刈りを一時間ほどした後、また、犬に吠え付かれながら下山しました。

 

 


 同日、同じ小川町の中城に行ってきました。小川町の主要部に張り出す台地の突端に築かれています。南半分は宅地化により破壊されていますが残存部分は見ごたえがあります。

 


 登り口の表示が質素です。民家の塀の脇にあるこの柱を見つけるのに市内を1時間徘徊しました。

 


                   北側の比高二重土塁です。

 


                    土塁を内側から見たところです。

 


               矢倉台には、お堂が建てられています。

 


          矢倉台から、横矢がかけられる位置に小口があります。

 現状、単郭ですが、台地続きの現状宅地に、二の郭、三の郭があった可能性が強いと思われます。

 

ホームページ「土の城への衝動」http://www5.plala.or.jp/tutinosiro/

スポンサーサイト
Comment
Comment Form
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

武蔵の五遁

Author:武蔵の五遁
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
最新トラックバック
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QRコード